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わたしの父のこと

私は父のことを、じーちゃん、と呼んでいます。
私の父は、本当の父ではありません。

私の本当の父は8歳のときになくなりました。

じーちゃんは、私が15歳の時に父がわりになってくれました。
母がじーちゃんのことを好きになったからです。
母と、じーちゃんは私が25歳の時に結婚しました。証人になりました。
私もさすがに25歳になって、苗字が変わるのは、

「結婚した?」 「うん、親が、ね」

となるから、戸籍は別のままにしました。
でも、いっしょに暮らしていて、家族です。
じーちゃん、だけど、お父さんです。

じーちゃんは、81歳です。
今もアルバイトをしています。
特別支援学校に通う子供達のスクールバスに一緒に乗って、
子供達とお話ししたり、バスに乗る手助けをしたり、ときに注意をしたりしています。添乗員のお仕事です。
子供達はダウン症や自閉症だったりします。
みんな、かわいいんで。わしのこと、おじちゃん、おじちゃん言ってくれるんで。
と言っています。じーちゃんはきっとその子供たちが大好きです。
学校を卒業して、スーパーなどで働いている子達を見ると、
挨拶したり、よくがんばっとるのぅ。えらいのぅ。なんて言います。

休みの日は、畑仕事をします。季節の野菜を作ります。レモンも植えてくれました。
庭の雑草抜きもします。海に入ってひじきをとります。
とにかく、動いていないと嫌!なじーちゃんです。

昔は、中華料理屋をしていました。今も、お正月にはチャーシューを作ってくれます。美味しいです。日本で一番美味しいチャーシューを作ってくれます。

見た目は60代、働き者のじーちゃんです。年齢を言ったらみんなびっくりします。


そんな、じーちゃんが、入院しました。

新型コロナウィルスの陽性反応が出たからです。

かわいいこどもたちの中の一人の濃厚接触者といわれて待機を指示されている時に、熱が出て息が苦しそうで、携帯電話の使い方も分からなくなっていたから、保健所に相談して夜7時、救急車を呼びました。

普段なら、救急車なんか絶対いやだ!と言いそうなじーちゃんが、ほーか、呼ぶんか。お願いのぅ。と言いました。それくらい苦しかったんだと思います。


搬送先の発熱外来に呼ばれていきました。お医者さんからは、高齢者だからご存知の通り、悪化するリスクが高いですと言われました。じーちゃんはやっぱり、じーちゃんでした。


人工呼吸器のことを言われました。
つけることを、希望しますか?気管切開をしますか?
呼吸を機械にたよりますか?
するかしないか、家族も選択してください。と言われました。

私も、母もすぐに、
じーちゃんにきいてください。じーちゃんの希望が私たちの希望です。

と言いました。

そのあと、アビガンの説明を聞いて、服用するにはサインが必要ですと言われて、サインしました。
じーちゃんが楽になるなら、どんな薬でもいいです。副作用が下痢なら便秘がちのじーちゃんは楽になれるかもしれません。

私と母もPCR検査をしました。
鼻に長い綿棒を入れられて変な声を出す母の声を聞いて、思わず笑ってしまいました。母は、この検査、お産よりも辛い、と言っていました。
看護師さんはすぐに、お産の方が辛い、と言いました。私もお産のことはわからないけど、鼻に長い綿棒入れられるのはまだ耐えられました。でも、医学がこれだけ進歩しているんだから、もう少し痛くない方法も考えてほしいです。

それから、もう当分会えないかもしれないから、
少し面会を…と面会させてくれました。

夜10時、ベットに酸素をつけて寝ているじーちゃんは、
ほんとに、じーちゃんでした。
小さくてか細い声でありがとう。ありがとう。って。
ごめんのぅって。迷惑かけるのぅ、って。

家族なんだから、迷惑なんて言わないでほしいです。103歳で亡くなったじーちゃんのお母さまのようでした。そっくりでした。病院のベッドで同じことを言っていました。

その日の夕方まで、いつものじーちゃんだったのに、

たった4時間で、よぼよぼの本当の高齢者…じーちゃん、になってしまいました。

夜11時、母と家に帰って、話をしました。まるで、面会は最期のお別れみたいな感じだった、とか、人工呼吸器の質問の時に、その答えで良かったか、とか、じーちゃんはよく頑張ってるのに…こんなに辛い思いをするのはかなしい、とか…
お母さんと結婚するまでのじーちゃんのこと、じーちゃんの人生。
じーちゃんは、10代の時ひとりで大阪に出て煙突掃除のお仕事をして、中華料理屋さんで弟子になり、ひとりでラーメン屋を開いて、心斎橋にお店を出したそうです。一時はかなり流行ってゴルフショップも経営していたそうです。
結局倒産して、こっちに帰ってきて、母と知り合ったそうです。
母には、何も買ってあげられなかったし、遺してもあげれんかった。申し訳ないって謝りながら、今までずっとお仕事をしていたそうです。
何も遺してやれんって、一生懸命働いて、こんなことになるなんて思いもしなかったでしょう。

治って帰ってきたら、ゆっくり畑仕事をしたらいいよ、じーちゃん。
わたしもがんばるから、もういいよ、じーちゃん。お母さんもがんばるよ。3人なら食べていけるよ。

母とたくさん泣きました。
私も母も、濃厚接触者です。コロナウィルス感染者情報に、じーちゃんが日本中の何人かのひとりになっています。
私たちは、濃厚接触者2として市のホームページに載りました。

【80代男性 入院中 〇〇市○例目の濃厚接触者 県外への往来なし
濃厚接触者2名、他調査中】

わたしの父です。頑張り屋で、立派で器用で波瀾万丈な人生で、怒ったことない優しいわたしの父のことです。








わたしは、神経難病と言われる、 若年性パーキンソン病にかかっています。 普段の生活を書いています。 みんなに障害について、難病について知ってほしいです。