生かされている

我々は、なぜ物質化して個体となって現れているのか。
私というものが、ただの素粒子の集合体なら個体がなくてもいいように思う。
わざわざ物体として現れているこの世界は一体なんなのだろう。

先日、友人のお葬式に行ってきた。
肉体は完全にただの入れ物だったのだと思った。私の知っている彼女ではなかった。
全くエネルギーが無い。もはや無だった。
いや、もしかしたらその肉体を栄養とする菌がいたりしてそこから生まれる新たな何かがまとっていたのかもしれない。
そうなるとまた別の何かになっていくのだ。


身体を形作る細胞たち。
彼らの働きがあるから、心臓が動いて血液が流れて呼吸をして色々なものを分解、結合している。
これは私の意志ではない。意識してコントロールできるものではない。
寝ている時なども勝手に動いて我々を生かす。

それに感情やら意識やらが付いてくる。

私は幼い頃、おじいちゃんが死んでるのを見ても何とも思わなかった。
ただ周りの大人たちが悲しんでいたり感謝していたりするのを見て、この状態は悲しい事なんだ。感謝することなんだ。と知識を付けただけにすぎない。

ということは、今の自分を形作る感情やらは私の今まで関わってきたものたちからの情報ということになる。

肉体が無くなればただの情報だけということなのか。細胞が死んだ時に情報だけになるのか。
それとも、この情報も細胞たちが処理していることであって私というものは全くの無なのか。

ただ、物体としてここにいるなら、その物体の感じるものは今の自分しかいないのだから、その感覚を大事に細胞たちが喜ぶ事をしてあげよう。










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