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格上と格下

ほぼ同等な立場であるコミュニティーの人同士の中でさえヒエラルキーができあがるこれはどうしてだろうか?

今は同居を解消したが、20年以上一緒に住んでいた私の法律上の母は私に優しい言葉をかけたり、優しい態度をとってくれた記憶がほとんどない。

彼女と私は同等の立場ではない。私は充分承知の上で何をするにもお伺いを立て、彼女を立ててきた。
それでもまだ物足りず放った言葉は
'年寄りを敬え'

年寄りはどんな年寄りでも敬われるべきなのだろうか?
一方的な行為であって良いのだろうか?

彼女は、
私がどんなに大変な状況にあっても、助けるどころか、崖の上から突き落とすような人である。

産気づいて不定期に痛むお腹を抱えて夕飯を作る私に、手を差し伸べるどころか、病気じゃないんだからと堂々と新聞を読んでいた彼女の姿を思い出す。

最近、若いスタッフを何人か雇い、仕事場は若い人たちで活気が溢れるようになってきているが、そこでとても気になったのが、彼女の態度である。

若いスタッフらには私から見たら、まるで別人のような微笑と優しさで接している。

あんなに嫌がっていたおかず作りやご飯作りも誰も頼んでいないのによかったら食べてねと持ってきたり、なんとまぁ優しいこと。

そこで私は考えた。この差は何だろうかと。

私は彼女にとってきっとライバルなのだ。
そして、若いスタッフたちは、彼女から見たら上に立てる、アドバンテージが取れる、そしていい人として見てもらえる、自分を良い人として演出できる、彼女から見たら格下だからせっせと面倒みようと思うわけだ。

私はなぜ彼女のライバルなのか。

そう。彼女にとって私は格上なのだ。
目の上のたんこぶではないが、面白くない存在として映ったのだろう。
そう思えば納得がいく。

そう。私は彼女より格上。
彼女が自らそう言っているのであれば、私は気高く堂々と格上でいようではないか。
彼女は、自ら自分を格下にしてしまったのである。

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