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余白のジャッジ

週に一度、日本習字を習っている。というのも、小学1年生から中学2年生までの8年間習っていたものを10年以上経って再開した。

きっかけとなったのは、砥上裕將さんの『線は僕を書く』という本だった。その本を読み終わると衝動的にもう一度書道を始めたくなり、日本習字のサイトに問合せをした。

すると、当時習っていた先生が同じ場所で今も教室を開いていらっしゃった。これは、もう運命のように感じた。仕事がある日は仕事終わりに通うので、学校終わりの学生たちに混じって書を書く。当時の私と同じ、始まりと終わりのあいさつをする。当時の自分と一緒に居るようだ。毎度、この懐かしさにとてつもなく、胸がザワザワする。

こうして、同じ場所・同じ時間に、また自分の字と向き合うことにした。

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字をきれいに書くには、いくつかのルールがある。その内のひとつは、書き順だ。書き順が違うと、形が決まらない。なので、字を見ればすぐに分かる。また、書き順も形ごとにほぼ同じなので初めて見る字でもだいたい順番は分かる。むしろこのルールが身に着けば、どんな字もきれいな形で書けるようになる。

ある程度書けるようになると、画数の少ない字のほうが難しく感じるようになった。「鶴」や「輝」、「書」という字は慣れると、むしろまとめやすい。それよりも「松」や「心」、なにより平仮名はとても難しい。画数が少なく、余白が多いので細かな箇所が目立つ。とめ・はね・はらい、そして字の太さ、バランス、余白が多いものほど美しく見せるのはとても難しい。

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これは、様々な場面でも同じかもしれない。たくさんのギミックや手数を入れるほど、見栄えがする。素人でもその難しさや苦労が想像できる。それに比べ、一見シンプルなものや手数が少ないものは、他のものと差異が無いように感じ、すごさが伝わらない。でも紛れもなく、それはジャッジされた「1本の線」だ。

何を足すか?

何を引くか?

実はいろいろなところでこのジャッジは下されている。

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