愛に貪欲

前回推し活について書いてたんですけど今どうしても書きたかった内容が別にできてしまったので推し活はまた今度書きます。

さて、今回は「愛」について書きます。人の数だけ愛の形ってあると思います。ありがたい事に私が育った家庭は愛で満ちていたと思います。
でも、私ってそれでもなお愛を求めているような気がします。

なぜそう思ったか、それの発端は休日の過ごし方でした。

私の最近の休日の過ごし方は「寝る」「食べる」「シコる」この3つをグルグルする感じです。まあ、そういう日も悪くは無いんですけど凄くレベルが低い気がして嫌になってしまいました。
その時ふと思い出したのが「マズローの5段階欲求説」です。

それは、心理学者マズローが提唱した説で「人間には欲求が5段階のレベルで分かれて存在している」というものです。

マズローの5段階欲求説について


ピラミッドの一番下を満たすとその上の欲求を満たしたくなり、それを満たすとさらにうえにある欲求を満たしたくなる…というものです。

これを考えた時、今の私は生理的欲求を満たすので精一杯なんだなと思いました。だから仕方の無いことなのかもしれない。

ただ、私にも「自己実現欲求」(成長欲求)を満たそうと励んでいたときがありました。それは、当時彼氏と付き合っていた時でした。その頃彼氏にもっと愛されたいと思ってダイエットしてました。振られたけど。

このことから、今の私がさらに上の欲求を満たそうとするならば他者からの愛を受けることも一つの手なのではないかなと思いました。

ここで最初話していたテーマの「愛」にもどるんですが、私って常に愛されたいんだなと思いました。
家族からの愛を一身に受けて育ってきたはずの私でも、それでもまだ他人からの愛を欲しがっているような気がします。家族からの愛ではなくて他人からの愛。同じ愛でもきっと性質が違うのだと思います。

もちろん、他者以外にも上のフェーズの欲求を満たす方法はあるはずなんですが、経験則から考えてしまうとそれしか思いつきませんでした。だから、私は見ないふりをしていたとしても、まだ恋愛を捨てきれないんだと思います。

誰にも縛られたくない癖にどこか寂しさを感じてしまう、そんな面倒くさい人間なんだなとも思います。

まとまりがない文章にはなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございます。

ではまた。

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