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Back to the world_006/クラッシック、流れ星、木魚

 ターミナル駅前には大きな商業施設がある。純の通う高校の生徒はここで遊んでしまうために軟派なバカになってしまう、というおおよそ賢くない考えが受験を控えた市内の中学生とその親たちの間では一般的だった。

ここはデパートと専門店街が合体した大型商業施設の走りである。昭和のそれは、日本じゅうの田舎に判で押されたように建てられた平成後期以降の商業施設よりはずっと特別感のあるものだった。
佐内と別れ、純はどこへも寄らずに長い道のりを帰って行く。電車の中では大好きな『ガープの世界』を開いた。ここでは読んでいる姿だけが大切で、青年誌の恋愛特集に書いてあった『騒いでいる男の子たちの中で1人小説を読む知的なカレ』を実践していた。じきに車窓から見える景色はのどかになり、バス、自転車と乗り継いで行くごとに山や田園の割合が増えて来た。

 純は最近散歩の途中で錦鯉を飼っている大きな家を見つけた。夕方に時おりクラシック音楽が流れていて、一見趣味良く見えるのだが錦鯉や灯籠、鶴亀のオブジェといった組み合わせが独特の雰囲気を醸し出している。純は時々ここに寄って生垣の間からさりげなく中を覗いていた。一度だけバンドカラーのシャツを着た初老の男を見かけたことがある。神経質そうにレコードを手に取る姿と銀縁の眼鏡は知的に見え、純は小説家とはこんな感じなのではないだろうかと思った。

もう一つ気に入っている風景ーー純の隣の家には太い庭木があり、キャンバスに描かれた流星の絵が無数にくくりつけられていた。厳密には半分ーー比較的新しいものはキャンバスではなくベニヤ板に描かれている。純は小学生の頃よく友達とクワガタを獲っていたのだが、その穴場に格好良い名前をつける要領でこの家を『流れ星』と名付けた。

当時は遊びの一環でそれらの穴場を線でつなぎ、簡単な図形を描いて町のスケール感を掴んだりした。

ここには地味な中年男とその母親が5、6年前に引っ越して来た。ある日庭木に1枚の流星の絵が掛けられたと思ったら、段々と増えて行った。初めはかなりインパクトがあって住民たちも訝しがっていたが、住人の中年男が廃品回収に参加した際に常識人だとわかり(純の叔父いわく)、『少し変わった趣味』として収まった。忘れた頃にまた絵が足されたりもするのだが、その頃にはもうこの異質な木はそれほどには近隣住民の注意を引かなかった。

 純は自転車を停めた。『流れ星』を背景に、純の家から木魚の音が聞こえて来る。ため息をついて自転車を押し進めると、飼い犬のバンが主人の帰りを察知して騒ぎ始めた。小屋に繋がれたまま回ったり吠えたり鼻を土につけたりして全身で喜びを現している。
バンは、田舎暮らしの気楽さで鎖を外して自由にさせている時間が多い。にもかかわらず、家族の誰かが気が向いた時に犬小屋に繋いだり、またはリードで繋いで散歩に連れ出すという形だった。
ヒャウヒャウと身体を擦り付けて来るバンの首を掻いてやりながら純は囁いた。「意味ねーじゃん、なあ?」

時おり思い出したように小屋に繋がれてしまう気の毒なバンの笑顔は最高だった。鎖を外してやると一目散に庭を走り回ったのち、穴を掘り始めた。
純は、もともとは農家であったという家に母と2人で暮らしている。母家とは別に納屋と小さな道具小屋があり、バンの犬小屋はこの中に設置されていて小屋in小屋、と呼ばれていた。純が中1の時に英語の勉強になるからと母が考え出したのだが文法が基本的過ぎて特に意味をなしていない。母は生真面目で何でもこなす人間なのだがこういうところがあった。

「ただいま。木魚が響いてるワ」
「おかえり。手を洗ってうがいして」
母はあっさり木魚を叩くのをやめて立ち上がる。本人は違うと言っているがこれは新興宗教だ。木魚の日もあれば団扇太鼓の日もあり、念仏がつく日もある。とにかく拝むのだ。やり方としてはいい加減なものだが、はた目には真剣に拝んでいるように見えるのは母の持つ内面の力、というか魅力のおかげかもしれない。この宗教関係の知り合いも経典無視の母のやり方に驚いていたが、すぐにこれを受け入れるようになった。しかも敬意を持って。

 小さな仏壇ーー叔父がその父親から譲り受けたという質素なものーーの横には外国で行方不明になった純の父親と、老人の写真が小さな額に飾ってある。その老人は母が東京でバスの事故に遭った時の命の恩人、独り言を呟いていた男だ。表情は穏やかで澄んだ瞳をしている。母が言うにはこの男性はもと大学教授で、訳のわからない事を呟き始めたのは事故の1週間前ぐらいからだったそうだ。母が産後しばらくして、老人の家族に頼み譲り受けた写真なのだと言う。おかしくなりかけていた老人だが、死ぬ前に人助けができていたのなら少しは浮かばれる事でしょう、と母に好意的に写真を提供してくれたそうだ。物心ついた頃から純が聞かされて来た出生にまつわる奇跡のエピソード。母は泣いたり笑ったりどこか一点を見つめたりしながら純に話したものだった。

純は小さな頃から、こちらを見つめる父と老人の写真の中の世界からこちらがどう見えるのかを考えていた。そして時おり2つの写真の中に入りこんでこちらの世界を眺めるということをやった。写真の表面が鏡面のようになっていて自由に行き来する感覚で、あちらの世界を回って来るというひとり遊びをすることもあった。額の中の父も老人も、優しく微笑みをたたえたまま、微動だにしない何かのシンボルのような存在である。昭和40年代に撮られた2枚のカラー写真は色褪せ青みを帯びていて、純のセンチメンタルな部分をくすぐった。
「ではまた」
純は昔ドラマで見た山高帽をかぶった男の台詞を呟いて、シンボルである父や老人の脇を通り抜けてこちらの世界へ戻って来る。時々行う夢想ではあったが、最近はたいてい台詞を呟くだけになってしまった。

 藤尾家の夕食は基本、母と叔父と3人でとる。近所で農業を営む叔父ーー母の兄は昔教師だったせいで、今でも『先生』と呼ばれる事が多い。50に手が届く年齢で、純は宮沢賢治の『雨ニモマケズ』で描かれている人物像こそがほぼ叔父だと思っている。純にとっての誠実とは叔父の事だった。

「…クラシックが流れてるんだよ、鶴と亀をバックに」
純は初めて母と叔父に、面白おかしく大きな家の話をした。

「小学校の先輩の家だ、わしの」
「ああ。坂木さん?よね?」

母は至極きっちり、整然と天ぷらを純の皿に滑り込ませ、皿の中の並びを整える。

「あの白髪の人?神経質そうな」
「はは。あれは東京の大学を出てこっちに戻ってから、市役所に出てるんだよ」
「へえ。だから洒落てんのかな、シャツが」

叔父は笑って、
「そのへんは知らんが。クラッシックは詳しいだろうな、文芸部の部長だったんだよ、中学の頃」
「へえ、なんかすごいなそれ。インテリっぽいな」

世は俗に言う『ツッパリブーム』ーー純はこの言葉が大嫌いだった。
この田舎の中学で文化部は息も絶え絶えで、不幸な事に『大人しくて気持ち悪い奴らの集まり』と言うレッテルを貼られていた。それだけに白黒写真時代の文芸部のイメージは純の中で知的に美化されていた。叔父がよく話している『知的大衆』と言う言葉が好きで、集団就職によって田舎から出てきた若者たちが書物や映画に触れて成長して行く様子を想像すると泣けて来るのだ。

「ポサーッとしないの、純」

純はよくスイッチが切れたように半開きの口で止まってしまう。実は決してぼんやりしているわけではなく、脳内では今回のように知的大衆などについて忙しく考え感動したりしているのだった。

「坂木、あそこは豪農だったからな」

「『ごうのう』って?」

「辞書で調べなさい」

「すぐそう言う。教えてくれりゃいいじゃん」

「何でも人に聞かないで自分で調べたほうが覚えるのよ」

純は坂木に憧れの念を少し抱いた。叔父が『クラシック』の事を『クラッシック』と発音する響きが気に入ったので『クラッシックの家』と呼ぶ事にした。


 その晩は『豪農』を辞書で引いたあと、船で海を渡りソープランドの裏を抜けて田舎町まで帰って来た事に満足しながら床に着いた。■


とにかくやらないので、何でもいいから雑多に積んで行こうじゃないかと決めました。天赦日に。