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奈良は本当に”まほろば”だった話。法隆寺編。

胡蝶です。こんにちは。こんばんは。おはようございます。

奈良ってどんなところかって言われたら何か浮かびますか?

たぶん10人に9人くらいが、鹿。
あまり便の良いところでもないし、修学旅行で一度行けば十分みたいな雰囲気が巷で漂ってる奈良。

いやいやいや人生損してる。
というわけで、奈良の話です。

仏教がわからなくても
歴史がわからなくても
法隆寺は感動できる。

旅行は欲張りたいタイプで、
東京駅6時、京都駅8時着
という始発スタイルが定番の我が家。

その時ももれなく8時に京都着。
JR奈良線で南下しつつ宇治の平等院に寄ったから
法隆寺に着いたのは11時くらいだった。

初めに言うと、私は仏像とか仏教とかにあまり造詣の深いほうではない。それもあって、法隆寺に来るのは少し不安だった。何が不安って、法隆寺の魅力を理解できるか不安だった。ただでさえ奈良の中でも大仏やら鹿やらのいる奈良駅周辺から少し離れた斑鳩というエリア。わざわざ来るほどの何かがあっただろうかと帰り道に感じてしまうのが怖かった。
そして降りた法隆寺駅。
駅前は本当に何もない。
駅の中にはかろうじてせんと君の顔出しパネルがあったけれど、あまり観光地らしくない。いかにも関西の地元の駅という感じで、正直不安は大きかった。
でもバス停についてそんな懸念も吹き飛んだ。

バス停の前で。

バスから降りた私たちを包み込むような
奈良独特の少し黄身の強い漆喰壁。
コロナ禍で人の少なかったこともあるのかもしれないけれど、京都の観光地とは違った解放感と没入感があった。
地面から空までがつながっている感じ。
全身で奈良を吸えるような。
そんな魅力が、法隆寺に限らず奈良にはあったような気がする。

南大門を抜けて。

一つ目の門をくぐると、真っすぐの道が中門の手前まで続いている。ここがまたよかった。とにかく空間の使い方が贅沢なのだ。
真ん中の石畳が一直線に真っ直ぐと。
クリーム色の漆喰壁。
塀から覗く建物の瓦と植栽。
そこから空までがぐーっと一つのキャンバスの中に広がっていて。
ジオラマの中にいるようなそんな気持ちになれる場所だった。

廻廊と覗く紅葉。

道を進んで中門を抜けると、廻廊があって、その中にかの有名な金堂がある。この廻廊がまた美しかった。廻廊の格子窓から覗く少し色づき始めた紅葉が作る風景画のような景色。建物もたとえば細部の風鐸とか、木材の重なり方とかが丁寧で、柔らかくて、美しかった。

大講堂。

石畳の白の強い灰色。廻廊や建物の赤みのかかった木の色。漆喰壁のクリーム色。一番奥の大講堂に揺蕩う白地に茶色の模様の入った旗。

少し褪せていて、人によっては地味と思うかもしれないその色合いが、落ち着いていて、雅だと思った。確かに感じられる歳月の跡と、香り立つ品と伝統。華やかさは京都に劣るかもしれない。
でもそれを補って余りある美しさがあった。
少し素朴で静かで、ゆったりとした美しさが、あった。

前にも言ったように、正直私には仏像の魅力が分からない。美しいとは思う。けれど、それ以上の”はあっ”とため息の出るような感傷のできる受け取り方が、まだわからない。たとえば美術でも絵画か彫刻かといわれたら絵画が好きだ。つくりの美しさとかそういうきっと仏像の魅力が分かる人にはわかる凄さが、わからないんだと思う。
それでも、法隆寺は美しいと、私は感じた。法隆寺は、歴史の教科書に載っているから来る場所でも、世界遺産だから来る場所でも、国宝があるから来る場所でもない。

法隆寺という場所の持つこの雰囲気を浴びに来る場所なのだと、私は思う。

かしこ
2023/5/9 GST 15:44
胡蝶

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