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クラブハウスとmixi

クラブハウスなるものが流行っているらしい。

うちの事務所ではFMラジオを常に流しているんだけれど、Oh!Happy morningでクラブハウスの話題をしていたのを聞いて、初めてその存在を知った。
2日前の水曜日のことだ。

ラジオのパーソナリティさんだから、話す声のSNSというところにも職業柄惹かれるんだと思う。
クラブハウスについて楽しそうに話していて、それが何か伝染してきて、クラブハウスとメモした。

それからわずか2日なのだけれど、いたるところで、クラブハウスの話題を目にする。
新聞にも載っていたし、クラブハウス始めましたみたいな記事も見つけるし、クラブハウスで配信しますみたいなイベントもよく目にする。
身近でも、あの人やっているらしいけれど私は招待してもらえなかった、という実際の生の話も聞いた。

この数日でここまで勢いよく情報が飛び込んでくるのも珍しい。
何が起こっているんだろう?

大統領選などで、一部では、既存SNSの信頼性が失われた。
そんな中で、様々な新しいSNSに人々が移り、そのSNSも消される、ということが起きていた。
メディアの信頼性を失っている人にとっては、そのSNSがどの流れの資本なのか、どういうスタンスを取っているのかというのは、大きな関心ごとになっているのだと思う。
そんな流れの中で、突如登場したクラブハウスは、どういうものなのだろう?

招待制らしく、2人までしか招待できないらしい。
どこからスタートしているのかはわからないけれど、おそらくは、首都圏を中心に広がっているのではないかと思う。
この情報の伝わり方を見ると、意図的に流行を仕掛けている感じもする。
話すことを仕事にしている人など、影響力がある人などを中心に、一般枠を少し組み入れた形からスタートさせたのではないだろうか。
最初からすべてが招待制だとしたら、そもそも誰も始めようがないので、クラブハウスを作った企業側から、ある程度の選定の元に招待をしてスタートさせたと思われる。
もしそうだとして、現在は首都圏で広まっているのだとしたら、この流れが秋田にまで来るのはいつのことになるのだろう。

招待制のSNSといえば、mixiを思い出す。

スタート期のmixiは、なんだか大人の雰囲気があった。
本名で初めて、招待制であることが当たり前だった。
でも、なんであんなに普及したのに、みんなやらなくなっていったんだろう。
なんでFacebookに移行したんだろう。
今となっては、その理由は思い出せない。

SNSに共通して言えることは、すべての人と同列で繋がっていることは、一見便利でもありそうに見えて、とても不便で、めんどくさいということだ。

1人の人は、たくさんの社会と接している。
人とのつながりのコミュニティの単位はたくさんあって、それぞれのコミュニティごとに自分の役割がある。
それぞれの立場によって、キャラクターも立ち位置も違う。

例えば、父親である自分と、職場での自分は違う役割があって、違うキャラクターだ。
子どもと話すよなテンションで、職場の人とは話さない。
良い悪いの話でも、どこかでは偽りの自分でいるという話でもない。
それぞれの所属場所によって、自分が違うのは、当たり前のことなのだ。

それなのに、SNSでは、すべての人と、同列で、同様の情報が共有される。
それが良い場合もあるけれど、たいていは、うまくない。
このnoteだって、見知らぬ人に読んでもらう分には何とも思わないけれど、身近な人に読まれるのは、あまり気が進まない。
それは、人によって、出している自分の範囲が異なるからだ。
すべてをオープンにすればいいってものでもない。
雪が降りすぎて困っている人の前では、雪が降ってよかったですね、とは言わない。
でも除雪業者の人と話すときは、雪が降ってよかったですね、という会話になる。
良い悪いではない。
そういうものなのだ。

なんだか話がそれてしまった。

クラブハウスが声のメディアだというのも面白い。
書くよりも、話す方が、圧倒的に情報量が多い。
話したことがそのまま機械的に文字に落とせるところまで、世の中進化している。
書くよりも、話して、機械が起こした文字データを編集加工した記事にした方が、圧倒的に楽なのかもしれない。

話すことと、書くことの圧倒的な違いは、自分の中にどれだけ潜れるかの違いにあると思う。
書いているときは、自分の内面と向き合うことになる。
書きながら、思考が整理される場合もあるし、書きながら言葉に引っ張られるように、思いがけないような展開を見せることもある。
始めから、すべてを何か目的を持って書いているわけではない。
一行書けば、なんとなく、文章が出来上がっていくことは、noteユーザーなら誰もが経験しているのだろうと思う。

一方で、話すことは、ちょっと違う。
1人喋りであれば、話しながら、思考が整理されるということもあり得るし、しゃべりながら自分の内面に入っていける人もいるのかもしれない。
得意、不得意の問題なのかもしれない。
個人的には、話すことよりも、書く方が得意だ。

声に出すということは、自分を外に発信していることにも通じる。
だから、自信がないときには、声にはしづらい。
大きな声で言えないこと、というのもある。

誰かと会話をするときは、キャッチボールが面白い。
展開が読めないから、面白い。
一過性の、ライブ感。
きっと、クラブハウスにはそういう魅力があるのだろう。
記録が残らないことも、面白い。

そう考えると、noteなどは、書いた記録を残す場であるのに対して、クラブハウスは、その時々の一瞬の出会いと、会話から生まれるケミカルな瞬間を楽しむ場なのだろう。

いずれにしても、僕が誰かから招待してもらえない限りは、その実態を知ることはできない。
僕が招待される頃には、世の中の相当の人に普及していることになるんだろうと思う。

クラブハウスを体感した皆さん。どうですか、楽しいですか?

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