『間文化主義 多文化共生の新しい可能性』ジェラール・ブッシャール 彩流社

「多文化共生」が自分の論文の大きなテーマとなるので、関連するかも?と思い読んでみた。結論で言うと、あんまり使えなそう(笑)

多文化主義を拒否してきたケベックを事例に、間文化主義についてケベックの状況やカナダの文脈をてがかりに説明を試みているのだが、自分の知識不足もあり、抽象的な話ばかりに感じてしまい、しっくりこない。

ただ、自分の研究に当てはめると、マジョリティ=日本人、マイノリティ=留学生、というふうに対置して議論するのであれば、少しは参考になるのかな。

多文化主義と間文化主義の違いは、大きく2つ。

①間文化主義は、ケベック・ネイションを社会としてとらえ、ケベック・ネイションへの帰属意識を発展させることを受け入れている。他方、多文化主義がカナダのモザイクを構成するあらゆるエスニック集団として認めるのは、ケベック人の中でもフランス系カナダ人にルーツを持つ人のみである。一般的に、多文化主義は、複数のネイションからなるカナダと言う概念を拒絶する。

②間文化主義⇒マジョリティ文化の存在を認め、一つの共通文化、一つのネイション文化の発展を主張する。つまり、多元主義精神のもと、マジョリティ文化とマイノリティ諸文化の間の関係をうまく組み立てることが重視されている。多文化主義⇒マジョリティ文化の存在を認めないので、この関係は定式化されない。さらに、ネイション文化という考え方も問題視され、ネイション文化の変わりに社会の絆の土台となる象徴的な共通分母を据えることが課題となる。

この、多文化主義が「マジョリティ文化の存在を認めない」っていうのが今ひとつ分からなかったなア…。多文化主義についてもっとちゃんと勉強する必要あり。

要するに、間文化主義は、マジョリティ/マイノリティという二元性に由来するけど、多文化主義は違うということなのかな。間文化主義は、「相互作用、歩み寄り、交流、そして、いくつかの集団が共同で行う主導的行為が推奨され(p92)」、「次々と波のように訪れる移民が、自分たちもそのホスト社会—それは自分たちに続く移民も受け入れ、統合する社会である—の文化の共同制作者だと思えるようにすること」p12-13)であり、「間文化主義で肝要なのは、さまざまな文化が出会い互いを豊かにするという過程である。それならば、文化を別々のしきりの中に入れたままにするゲットー化といったものは何であれ、この目標の障がいとなる。接触と交流こそが本質的に重要」(p13)とあり、「接触」「交流」「マジョリティとマイノリティの架け橋」「共通文化」とかがキーワードになりそう。

「共通文化」とかは、私の研究でもコードとして使えるかな。マジョリティとマイノリティ、マイノリティの中で、共通の寮文化を通して何か生まれている、とか?

多文化主義についてもう一度勉強したら、ちゃんと読もう。


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