ここでしか摂取できない栄養がある。だから私はライブに行く【King Gnu Stadium Live Tour 2023 CLOSING CEREMONY】
前日まで台風や雨にヤキモキしながら迎えた6月3日。すっかり板についたぼっち参戦で、King Gnu Stadium Live Tour 2023 CLOSING CEREMONYに行ってきた。
前回の東京ドーム公演から約半年ぶりのKing Gnuライブ。前回のレポでも書いたけれど、自分がライブレポってものを書く意味は、今もやっぱりよくわからない。プロがレベルの高いレポートを、事細かに振り返った感想をたくさんのファンの方が、すでに書いている。それでも自分が書く意味を見出だすのって、難しいよねって話。
存在証明。そこに、彼らと自分が、たくさんのファンが、いたことの存在証明。それだけのためになら、書ける気がする。時間が経てばどうしたって、その時の気持ちは忘れていくから、どうにかして残しておきたい。感情と心象風景の真空パックだよ。だから、今回も難しいことは考えず、私が感じたこと、見た風景を中心に、記録していってみようと思う。
前日は深夜まで、その日締切の仕事をウンウン唸りながらやって、なんとか終わらせてからウキウキと爪を塗った。『CEREMONY』を聴きながら塗った。ライブ前は、いつもデートの前みたいな気分だ。
向かう前から幸せ。どうしたって幸せ。
「どんなにステージから遠くたって、心はいつもあなたのそばに」ですよね(いつかの常田さんのTwitterより)(大意)。
その言葉を胸に、しっかりパックもして謁見準備を整えてから、数時間後の起床まで短い睡眠を取った。
お昼過ぎ、ファンクラブ会員限定のガチャガチャがしたかったので早めに会場へ。午前中までぐずついていたのが噓のように晴れた新横浜は、すでにヌーの群れでいっぱい。
ガチャガチャを五回まわして、お腹を満たすために一度駅前へ。戻ってきたら間もなく開場、すぐ中へ入った。
指定席なんだからギリギリに来たっていいんだけど、私は結構、開演までのその何もしない時間が好きなんだ。ガラガラだった椅子が次第に埋め尽くされていく。ファンのみんなの楽しそうな顔を眺めて、会場がワクワクとドキドキで満たされていくのをゆっくりと感じ取る。始まるんだなぁと、初参戦の頃に比べればはるかに落ち着いた心持ちで、とはいえ胸の内で確かに沸々と湧き上がる興奮の予感を感じながら、開演までの時間を過ごした。
スタジアムの空は切り取られたみたいに四角くて、スカイブルーの中に浮かぶ雲は形を変えながらそよそよと風に流されていく。台風一過。取り囲む座席が要塞みたいで、「王の元に集う民衆」感を高めてくれてとても良き。
周囲を見回せば、老若男女、ちびっこから私の親世代まで、二足歩行できる世代網羅してんじゃないのって勢いで幅が広かった。出会った時にはすでにアリーナ公演を目前にするくらい「売れて」いるバンドだったけど、こうして目の当たりにすると、名実ともに国民的モンスターバンドの仲間入りをしたんだと実感して、ファン歴三年ちょっとの私でも感慨深かったよ。
ホーン隊とストリングス隊による『開会式』が華々しく鳴り響いて開幕。ステージ脇で上がる火柱ももはやお馴染みとウンウン頷きながら、けれどそのスケールのデカさがこのスタジアムツアーの意義を物語っている気がして、すでに涙目の私。
そして『飛行艇』からの『Tokyo Rendez-Vous』という流れに客席はどよめく。そりゃ言うわ。「ええっ!?」って、ぼっち参戦なのに独り言として言うわ。続けざまにさらなるサプライズ、まさかそこから『Teenager Forever』に繋がるなんて、ライブ終盤が定位置になりつつあった二曲がこんなに早く来るなんて、たぶんだッッれも予想していなかった。
ツアー中止になった2020年春、沼落ちしてから配信ライブもリアルライブも参戦してきたけど、考えてみれば新しいアルバムは一枚も出てないわけで。それでも幾度ものライブに耐えうる楽曲群の層の厚さと噛めば噛むほどなその魅力、そして吸引力に感心してしまう。
King Gnuに出会うまでに行ったいくつかのライブは、一度行けばだいたい満足で、同じツアーに何度も行きたいなんて考えもしなかった。でもKing Gnuは、演奏されるのがたとえ同じ曲だったとて、何度でも体験したくなってしまう魅力がある。そこでしか得られないものがある。中毒性があって、代えが利かない。King Gnuのライブは私にとって、唯一無二の麻薬……であり特効薬? なんていうか、個人に合わせて処方された漢方薬……? いつ会っても夢を見させてくれるし癒してくれる。私の中に、King Gnuのライブでしか埋められない穴があるんだと思う。
エモーショナルな『雨燦々』の合唱、ライブ初披露の『小さな惑星』、痺れるタバコ休憩MCからシームレスに始まったアコースティックの『ユーモア』、常田さんの優しいギターと井口さんの美しい歌声にポロポロと涙が出てきた『Don't Stop the Clocks』から、夕暮れの中の『カメレオン』と『三文小説』まで、不思議なほど穏やかに涙が流れ続けた。常田さんのピアノソロ『戦場のメリークリスマス』は荘厳だった。息を吞んで見守った。
とっぷりと日が暮れた頃に始まった『泡』。ステージの真上に、かかった雲が流れて満月が顔を出した。完璧すぎた。天が味方するバンドだ。「えっ、月……! すご………」思わず感嘆の声が漏れる。え? そうだよ独り言だよ。ぼっち参戦だよ。いいんだよ。解放されてるから、ライブ中って。普段閉じきった私の心を、解放してくれてるんだ、King Gnuのライブが。
水面を想起させる照明と映像も相まって、『泡』を聴きながら深く深く潜っていく感覚。水の底にたゆたいながら、世界を見ている気分。満月が、水面を、私たちを照らしてくれているようだった。
ホーン隊とストリングス隊の重厚な『幕間』を挟んで打って変わっての後半、ラストへ向けて天井知らずでボルテージを上げていく。King Gnuはただひたすらかっこよくて、私はひたすら飛んで、ひたすら踊った。ひたすらにひたすら、ああ、ひたすらがゲシュタルト崩壊する。
本編も終盤、それが始まった時、確か何も見えてなかったと思う。真っ暗で、モニターにも何も映っていなくて、その中にピアノの音と、常田さんの歌声が響いた。
ここで演奏されなければもう二度とライブで聴くことはないと言っても過言ではない、『壇上』。King Gnuを解散することを考えて作られたという曲。ファンにとって、その時の常田さんの気持ち、状態に想いを馳せて、どうしたって苦しくなってしまう曲。
でもこの日の『壇上』は音源と違った。途中でせきゆーのドラムが、新井先生のベースが、そして最後に井口さんのコーラスが、はじめは寄り添うように、次第に力強く、常田さんのピアノと声に重なっていく。もうこの時点で涙腺決壊。ああ常田さん、ひとりじゃないね。「どんな未来でも」志を共にして、「一緒に歩いてくれる」仲間が、頼もしい、温かい、愉快な仲間たちがいるんだ。
感涙していると、モニターには次々、King Gnu結成初期から怒涛の『CEREMONY』制作期の頃の写真が毎秒切り替わって流れていく。まるで走馬灯。苦しんだ『CEREMONY』という作品が優しく召されていくように、当時の常田さんの魂が癒されていくように、4人の笑顔が、ふさげた場面が、私たちの目の前を駆け抜けた。こんなの泣くなという方が無理だ。4人が出会ってくれて、こうしてバンドを続けてくれて、本当に良かった。結局ずっと泣いていた。
ここで、最近ではアンコールラストの曲としてお馴染みの『サマーレイン・ダイバー』へ。ここでサマーレイン? じゃあアンコールラストの曲は? と驚きが微かに頭を過りながらも、揺れる7万人のスマホライトの海に身を委ねた。「dance dance, anyways……」歌って、光の波の一員となり、揺れる。常田さん、この海は広いよ。ヌーの群れが作り出す光の海。美しいよ。ずっと私たちのキングでいてね。そんなことを思いながら、またぐずぐずと泣いた。
そしてアンコール。ステージの真ん中、チェロを抱え椅子に座った常田さんをスポットライトが照らし出す。チェロ独奏の『閉会式』。ピアノソロの時もいつも思うんだけれど、静かに、一人で楽器と向き合って音を鳴らす常田さんを見ると、存在自体が発光しているようで、ああ、この人は本当に音楽の申し子なんだ、と感じ入る。神聖で、かっこよくて、美しくて、猛々しい。チェロの音と常田さんの存在がリンクして、この人からこの音が出ていることの凄まじい説得力に圧倒された。
2020年の春に沼落ちした私にとって、今回が初めての声出し解禁ライブだ。声出し、つまり歓声をあげたり一緒に歌ったりが、すごくすごく楽しみだったのは当然なんだけれど、でも実はほんの少し、不安もあった。
「みんなと一緒に歌いたい」「みんなの声が聞きたい」と4人は繰り返し話していたし、何より「『CEREMONY』は観客の大合唱があって初めて完成する」(大意)と常田さんが言ってたし、私自身も声出しのあるKing Gnuライブを体感したかったのは本当なんだけれど。
本人たちの歌が聞こえなくなってしまうのではないか。じっくり4人の演奏が聴けないのではないか。自分の声が、周囲の人を嫌な気持ちにさせる場合もあるのではないか。コロナ禍の声出しなしのライブに慣れきった私はそんなことを考えて、100%楽しめるのかなって、一抹の不安が胸を掠めていた。
でも、終わってみればそんなの本当に、本当の意味で杞憂でしかなかった。『McDonald Romance』を7万人で大合唱した時の感動は、今まで経験したことのない感動だった。大好きな、繰り返し繰り返し聴いてきた彼らの声と、音と、今この瞬間、自分の声が重なって聴こえている。同じ歌を、同じ場所で、重なりあって歌っている。それってすっっごいこと。そんなことあっていいの? って、にわかには信じがたくて、でもやっぱり現実にそれが起こっていて、それを理解した瞬間、嬉しくて嬉しくて感激して、また泣いた。
最後の最後の『Flash!!!』は、この日の楽しさを、彼らのかっこよさを、ぎゅぎゅぎゅ~~~~~~っと凝縮した数分間だった。ライブでは井口さんの「飛べッ!」を合図にジャンプするのが定番の曲だけど、この日はマジで、今までで一番飛び跳ねた。ぶっ通し全力ジャンプ。筋肉痛? 関係ねぇ。靴擦れ? 構うもんか。アラフォー主婦なめんなよ、と誰に喧嘩売ってるんだか買ってるんだか? わからない謎テンションで踊り切った。夜の暗い空を突き刺すレーザーと、脳をバグらせるようなチカチカした照明も最後の花火も、すべてが最高だった。
つまり2023年、最新のKing Gnuは、最強オブ最強をまた更新していた。私の好きの気持ちに天井はないし、彼らのかっこよさにもそんなものないんだって改めてわかった。
ああ不思議。書き始めた時は「ライブレポ書けないなァ」「とりあえず忘れたくないし残しておこう」なんてちょっと消極的な気持ちだったのに、いつのまにか書いていて楽しくて堪らなくなってしまった。それもこれも超超超かっこいいヌーのおかげです。大好き。ありがとう。また絶対会いに行くから、遊んでね。約束だよ。
子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!