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行方知れずの祈りばかりを【#推し短歌】

一音が駆け抜けめぐり沸き立つ血つま先しびれて存在証明

震わせた喉と鼓膜が繋がりてこれほどの幸福があろうか

嘆いても変わらぬ隔たりいとおしむ目と目が合った微睡みの中

お裾分けくれたから今日も生きられる心の端っこ歌に乗っけて

140字詰め込んだとて届かない祈りを以て愛と為す


*

#推し短歌 の企画に参加します。
推しのことになるとやたら早口であれもこれも捲し立てがちな私。たった31音(程度)で推しへの愛を語るなんて! 少し前から短歌に興味を持っていたこともあり、挑戦してみました。

ずっと、短歌も俳句も難しいイメージだけがありましたが、いくつか本を読んで、これはなんて楽しい創作だろうとも感じました。そして実際にやってみたら、より確かな手触りを持って、その両方を感じました。

何回投稿してもいいみたいなので、もう少し取り組んでみたいと思います。

9/20 追記
短歌の解説文て、作者自ら載せるのは野暮なのかなぁと思って(鑑賞した人それぞれにイメージしてもらうのが鑑賞の楽しみの一つなのかなと思ったので)、特に何も書かなかったんですが、短歌に馴染みがない人にとっては、歌単体で楽しむってそもそも難しいなというのが初心者としての素直な感想なんですよね。

私はずっと、「読んでもわからないし」と思って短歌や俳句を避けてきましたが、興味を持った後に本に書かれた鑑賞文や解説文を読んで、初めて「そういうことか」と思ったりして、それで短歌を作ってみたいと思った経緯もあるので、ここでも簡単に解説を付けておこうと思い直しました。ご興味持っていただけた方は、良かったら読んでください。

この五首の連作は、推しのライブを通して感じた気持ちを詠ったものです。

一首目と二首目は、まさにライブ中に感じたことを、体の感覚と共に表現しました。これまでの自分の推しに関するnoteで、推しのライブ(そしてそれを書き記すことも含めて)は私にとって「存在証明」、つまり推しが存在していること、推しと同じ世界に私も存在していること、今同じ場所で、音楽を共有できていること、そういうことの「存在証明」がキーワードになっていたので、それを引用しました。

三首目は、その前の二つと比べると曖昧なところの多い歌。「隔たり」というワードは、宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』に書かれていた言葉で、印象的でずっと自分の中に残っていたので引用しました。推しと自分との間の隔たりは、永遠に変わらないものであり、それは悲しくもあるけれど愛おしくもある。夢の中では推しとの距離が近かったりもして狂喜乱舞するけれど、「ああ夢か」と、うとうとしながら思ったりする。推しとの距離感って独特なものがあるよなと思うし、ライブの後は特にそれを感じます。

四首目は、ライブ後に関わらずいつもそうだけれど、日々の中で落ち込んでいたり、ライブが終わって寂しい気持ちだったりする時も、いつも推しの作品に元気をもらって「今日もがんばろう」と思えたりするよね、という歌。推し自身の心の内なんてわかりようはないけれど、歌詞は間違いなく推し自身から出てきた言葉だから、そのほんの端っこだけだとしても、それは本物の推しの心の一部で、そういうものに励まされているよな、それって嬉しいことだよな、と思ったりします。

五首目は、一首目と同じようにこれまでの自分の推しnoteで言語化していた「祈り」というワードを引用。いつもいつも、推しのことを想うと「なんだか祈りに似ているな」って思うんです。ライブの後は特に、推しに想いを伝えたくて、X(旧Twitter)にたくさん感想を投稿するけれど、それでも届いてるかはわからない。推しを想って祈ることくらいしかできないね(でもそれでいい)、という歌です。

ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました!

#推し短歌 #推し活 #ライブ #音楽 #短歌


子供の就寝後にリビングで書くことの多い私ですが、本当はカフェなんかに籠って美味しいコーヒーを飲みながら執筆したいのです。いただいたサポートは、そんなときのカフェ代にさせていただきます。粛々と書く…!