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交渉の余地

誰でも自分の「思い」を尊重して欲しいと思っている。誰かにないがしろにされたと感じるときというのは、相手の都合ばかり優先されてこっちの都合は聞いてもらえないと感じるときだ。

お互いが全く逆方向の主張をしていて議論が進まないとき、尊重すべきは相手の「思い」だ。もちろん、こちらにも主張があるのだから、いつでも相手の主張を100%飲めばいいということではない。

交渉というのは、「言葉を尽くして自分の立場を理解してもらい、自分に同調してもらうこと」ではない。交渉のテーブルに着いた双方がこれをやり出すと議論は何時間続けても終わらない。自分の側に1%も譲る気がないから終わらないのだ。

お互いにどこまでが譲れて、どこからが譲れないかの認識をすり合わせ、双方にとってのぎりぎりの妥協点を見出すのが交渉だと思う。一歩も譲らない相手にはこちらも一歩も譲ってなるものかと思うのが人間だ。お互いが少しずつ譲り合って様子を見ることで最後には一番の「落としどころ」にたどりづく。この「落としどころ」までの距離が「交渉の余地」だと私は思っている。

それを間違えて「あともう少ししつこく粘ればこっちの言うことを聞いてくれそうだ」「もっと分かりやすく説明すればOKと言ってもらえそうだ」と思ってこちらの主張ばかりを繰り返すと交渉の余地どころか、相手はますます頑なになって話が通じなくなる。譲ってもらうにはこちらも譲る必要がある。どんな相手でもギブアンドテイクが基本なのだ。

意見の相違で困るのは、ビジネスの場だけではない。親子関係など、もっと距離の近い親しい間でもそうだ。親は子どもに自分の言うことを聞いて欲しい、子どもは親に自分の望みを聞いて欲しいと思っている。

親は自分のほうが大人で人生経験が長いから自分の忠告に従った方が賢明なのにと思う。しかし、子どもはそれを受け入れられない。少しは自分の思いにも思いをめぐらせてほしいと思うだけだ。

大事なのは大人の側が自分の意見の正しさを主張し続けるのではなく、自分の意見に従った場合と、従わない場合の結果の違い、それと従いたくない場合に第三のオプションもあることを子どもに提示してやることだ。そうすると子どもには選択肢が生まれる。

A、Bのどちらをとっても地獄というジレンマ状態のとき、さあ、どちらを選ぶのと迫ったら誰でも逃げ出したくなる。

どんな相手でも逃げ出したくなるほど追い詰めてはいけない。譲り合いの精神が必要なのは電車の座席だけではない。交渉の場でも意見を譲りながら進めていくことで「余地」が生まれる。


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