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一年前の自分へ

一年前の自分へ。元気にしてますか。

いよいよ新社会人。
入社式を直前に、一人暮らしをする地へ父と1日かけてマジの日帰り旅行なんぞしたことでしょう。

今から、そこそこ大事なことを書きます。というか単刀直入に言います。

23年、貴方は病みまくって2度ほど人生ごと足を踏み外しかけます。
さらに言うと、24年の冬に会社をやめて実家暮らしの無職になります。

…比較的希望に溢れている相手に対してなんということを言うんだ、と思ったでしょう。
ここまで慰めのひとつもなくはっきりを言えるのは、これを書いているのが未来の貴方だからです。

23年4月、私は緊張と好奇心に駆られながら新横浜での入社式へ向かいました。
何度目かのスーツに身を通し、大好きな音楽をひたすら聴きながら電車を乗り継ぎながら、会場へ向かったのをよく覚えてます。
入社式と懇親会を滞りなく終えた次の日、東京駅から宮城へ向かい、長閑な田舎町で一人暮らしが始まりました。
新入社員三日目からいよいよ研修が始まり、緊張と不安と好奇心であっという間に時間は過ぎていったことでしょう。

最初は、何事もありませんでした。
「大丈夫だった」というより、新入社員特有の緊張感がしばらく続いていたおかげで、どうにかなっていたという方が正しいでしょうね。

様子がおかしくなってきたのは5月中旬から。
GW明けの五月病と、自分の赴任地がなかなか決まらないことで不安が積み重なって、気がつけば本来の研修期間が過ぎても宮城の田舎町で一人暮らしをしていました。

きつかったのは平日。
本来の研修期間が終わっているのに、待てど暮らせど赴任地が決まらない。
時間が解決してくれるとはよく言いますが、当時の私は赴任地が決まる前に今の会社をやめて地元に帰った方がいいような気さえしていました、流石にそこまではしませんでしたが。

幸い、研修で着いた街はそこまで悪いところではありませんでした。
スーパーやドラッグストアがコンビニが歩ける位置にあったし、散歩できる距離にラーメン屋や書店があったので、何度も仙台まで出なくても家にいるかちょっと周辺を歩くかで割と充実した休日を過ごしていました。
あとNintendo switchと液晶タブレットを衝動買いしたことで家での趣味もそこそこに楽しめましたし。

ちなみに私は研修中にゲームとお絵描きと喫煙という趣味ができました。
タバコに関しては本当に血は争えないなあ…と思います。しかも最近シーシャにもハマったのでなおさらそう思うばかりです。
あと現在マジで喫煙スペースの少なさに嘆いています。

正直なところ、6月まではなんとかやれていました。
もともと少しでも空間に合わないと感じるとやる気がなくなる性格ですから、また似たようなものが来たんだろう、と。
部活に入りたてての頃に先輩に指導されたせいで「もう部活辞める」と言っていた自分のことだから、正直我ながら信頼なかったんだと思います笑
本格的に踏み外しかけたのは7月から。

本来、研修は遅くとも6月で終わるはずでした。
実際、6月中に赴任地が決まった同期が次々と研修地を離れ、研修所にいる同期の顔ぶれもだんだん少なくなっていきました。
5月から6月にかけて何個か候補地として挙げられて、いい具合に話が進んでいて自分自身も乗り気だった矢先にバッサリと切り捨てられ、この調子で黙って研修受けろという方がどうかしていると思ったくらいです(というか真面目な話、あそこまで束縛するならちょっと給料増やして欲しかった)。

焦っていたのか、それとも絶望していたのか、数ヶ月住んでいるとはいえ、慣れない地での一人暮らしで話し相手もいないからか、7月からはオンラインで病院診療に頼るようになりました。
そんな中でもなんとか取り繕いながら研修に励み、一応島根県での仕事が決まりました。

やっと決まったという安心感と、謎の恐怖が頭の中で喧嘩していたのを今でも覚えています。
正直、決まらなくてモヤモヤしていた時より酷かったと言っても過言ではありません。毎日抑鬱感情と希死念慮がせめぎ合っていて、明日のことの前に1秒先、1分先のことを考えるのもしんどい、と言った感じでした。

研修で過ごした地を後にして実家に戻り、8月から島根での新生活と本格的な仕事が始まったのです。

今回はここまで。
長くなりそうなので、また続きを書きます。
それでは。

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