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【TACT50】北海道の女神

バイクで旅をしていると、時に不思議な出会いがある。

1995年、当時丁度20歳の時の事。
私の相棒は相変わらず50㏄のスクーターだったのだが、
その年の夏は、私はそいつで北海道へ行くことにした。

東京の家を出発し、
初日は埼玉県熊谷市の友人宅へ。
2日目は長野県松本市の辺りの公園でキャンプ。
3日目新潟県直江津港から北海道行のフェリー乗船。
バブル崩壊と需要の減少を機に倒産に至った、
今は無き東日本フェリーである。
本州と北海道を結ぶ航路はいくつかある中で、
日本海を航路とする東日本フェリーを選択する利点は、
ずばり運賃の安さであった。

そして4日目にしてやっと北海道の岩内町に上陸。
時は既に17時くらいであっただろうか。
暗くなる前に寝床を確保したい所だ。
急がねば。

ところが目当てのキャンプ場を探しているうちに日が暮れてしまった。
街灯の灯りも乏しく真っ暗な道。
加えてトラックやダンプがすれすれを凄い勢いで追い抜いていく。
その風圧が、
ただただ怖い。
その圧を遠ざけるよう、私は限界の路肩寄りを走行した。
路肩の溝が突如として目に入った。
時は既に遅かった。
「あっ」て思った時には、私の体は宙に浮いていた。

地面に叩きつけられ、二転三転。
道路には、
スクーターの前のカゴに放り込んでいた、
ペットボトルや地図が散らばっている。
「とりあえずあれを片付けないと・・・」
立ち上がろうとすると、膝が痛い。めちゃくちゃ痛い。
見るとジーンズが破れ、両膝共にかなり出血していた。

「大丈夫ですかっ!?」

通りすがりの車から降りてきた女性。
「どうしたんですか?車に巻き込まれたんですか?」
歳は20代前半くらい、眼鏡の良く似合う美人だった。
「いえいえ、そういうワケではないのです。
 不注意でそこの溝に気付かず・・・。」
当時(今でも?)あまり女性に慣れてない私はなんだか緊張した記憶。

さらにもう1人男性の方も駆け付けてくれて、
溝にハマったスクーターをよいしょと引き上げてくれた。
綺麗に溝にはまったお陰で、バイクはほぼ無傷。

そして二人はすぐ目の前にあったゴルフ場に事情を説明してくれた。
そこのゴルフ場の管理人さんもまた良い人で、
消毒やガーゼ・包帯といった応急処置をしてくれた。
バイクを引き上げてくれた男性は昔バイクに乗っていたとの事で、
いろいろ話を聞かせてくれた。
眼鏡の女性はいつの間にか姿が見えなかった。

「半月湖のキャンプ場?それならすぐそこだよ。」

北海道上陸初日に、目的地を目の前にしてこのアクシデント。
しかし不幸中の幸いが3つある。
①後続や対抗の車が居なかった事。
すぐそこに大型車が走っていたら、私はこの世を去っていたかもしれない。
②非力な原付スクーターであった事。
何倍もパワーがあってスピードも出る中型大型バイクで、
同じシチュエーションに直面してたら、
私はこの世を去っていたかもしれない。
③それはこの時の出会いだ。

頃合いを見て、丁重な御もてなしに感謝の旨を伝え、
ゴルフ場をおいとまする。
すると先ほどの女性が。

「薬を買ってきました。」

手渡された薬局の袋には、
絆創膏や消毒薬などがいっぱい入っていた。

・・・この人はなんでこんなに優しいんだろう・・・

「ありがとうございます。」
私はそれしか言葉が出なかった。

半月湖のキャンプ場に着いたのは夜の9時頃。
何組かの家族連れの利用客が居たが、さすがに皆さんテントの中。
さてテントを設営するにあたり、
腕を肩から上に揚げようとするとピリピリとした痛み。
ダメージは上半身にも及んでいた事に気づく。
さらに追い打ちをかけるように雨が降ってきた。

テントを叩く雨の音。
それと孤独と痛みと不安でいつまでたっても寝る事が出来なかった。
膝の傷はいつ治るだろう、肩の痛みはいつ消えるだろう、
この雨はいつ止むのだろう。
一方で薬を買って来てくれた女性の事もずっと頭から離れなかった。
一目ぼれってやつだ。
私は何処かで彼女と再会するラブストーリーを空想した。
それが一段落するかしないかで、膝の痛みで現実に戻される。
とにかく長い夜だった。

翌朝、雨は止んでいた。
体の痛みは変わらず、すれ違うライダーが大きく手を振ってくれても、
私はジャンボリーミッキーのダンスのように、
肩の高さで手を振るのが限界だった。

今までの旅は暗くなるまでひたすら走る弾丸スタイルだったが、
今回のアクシデントを鑑み、改める事になった。
遅くても17時までには寝床を確保。
場合によってはもっと早くても良い。
必然とキャンプ場で過ごす時間が増える。
すると同じようなライダーと触れ合うきっかけに繋がり、
またキャンプ場で一人で過ごす時間の有意義さに気が付いたり。
貧乏旅行の「手段」でしか無かったキャンプが、
少しずつ味わい深い物に変わって行く。
今思えば、これは大きな転機であった。

傷のせいでなかなかお風呂に入れなかったが、
事故の3日後、やっと温泉に入る事が出来た。
といっても患部をタオルでガードし、シャワーのみ。
ただでさえ脂性の私の髪の毛はベトベトの極み。
一回目のシャンプーでは全く泡が立たなかった。

北海道は町と町の間は何も無い。
なんて事が多々あり、
まるでドラクエみたいだ。と思った。

オロロンラインにて

その最たる物と感じたのが、
日本海沿いに稚内へ通じる「オロロンライン」という道だ。
コンビニもガソリンスタンドも無ければ、
民家も無いしとにかく人の気配が無い。

野生のキタキツネは瘦せていて目つきが悪かった。


クッチャロ湖にて

知床のお土産屋さんは、8月だというのにストーブを焚いていた。
曰く道東はお盆を過ぎるともう冬なんだとか。


トドワラにて。
この世の果てのような景色が印象的。



肩の痛みはいつの間にか消えていた。
膝の傷が癒えるにはまだ時間がかかった。




そしてキャンプ場では沢山のライダーとの出会いがあった。


なんだかんだ延べ23日走行2900kmの原付北海道ツーリングを満喫した。

それもこれも、あの時助けてくれた女性のお陰だ。
そして現実はイケズだ。
漫画や映画のように、
旅の道中で彼女と再開するなんて事はもちろん無かった。

膝にはまだあの時の傷が残っている。
それを見るたび、私はこの時の事を思い出す。

彼女は私の永遠の女神なのかも。

そんなビターな思い出の方が、あとで美味しい。

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