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柳が09回ノーヒットノーランピッチングした、宇佐見がサヨナラホームラン打った、そして

コブ山田です。

ようこそいらっしゃいました。

今回は、2023年08月13日(日)プロ野球中日ドラゴンズの試合について、記します。

366の日が経過し、改めてこの試合を思い出しています。
バンテリンドームナゴヤでの広島戦。広島の先発は遠藤淳志、そして中日の先発は柳裕也で14:00に試合が始まりました。

この試合は中日が延長10回サヨナラ勝ちの結末でした。そして、2023年シーズンベストゲームの最有力候補に挙げる人も少なくない試合でした。

柳が09回ノーヒットピッチングを見せたことや、宇佐見真吾がサヨナラホームランを打ったこともうれしいポイントであり、それがベストゲームだと言える根拠です。

ただ、私は何よりこの試合でライデル・マルティネスが負け投手にならなかったことが本当に大きいと思っています。
これは366の日が経過しても変わっていません。

2023年のライデル・マルティネスは、春先から調子がよく防御率0.00の無自責点状態が続いていました。
05月03日(水祝)に負け投手にはなっているため無敗ではありませんでしたが、無自責点が状態続いているのです。本人は平然としているように見えますが、野球はわずかなできごとで得点されてしまうスポーツです。継続するというのは本当に難しいことです。

07月11日(火)に危うく初自責点がつく寸前になってしまったのですが、徳俵から押し返し、土つかずの状態が続いていました。

そうして迎えた08月13日(日)の試合。
柳は09回を投げ切り、ノーヒットノーランの状態となりました。
ところが、中日の得点が広島の得点と等しいから延長戦に突入したのです。それでは負けはしませんが勝ちもしません。

柳は先発投手の役割としては100点満点以上の結果を出しており、10回表にセーブシチュエーションでないながらもライデル・マルティネスがマウンドに上がります。
この試合を落とすとチームに落とす暗い影は大きいと考えたら、これは当然の采配です。

広島の6番ファースト堂林翔太が放った打球は、伸びを見せてバンテリンドームナゴヤのレフトスタンドに届くホームランとなりました。
ついに均衡が破れました。広島がリードする展開となったのです。
広島からすれば負け濃厚だった試合に明るい光が差し、それも中日側にダメージを与えられる点の取り方です。

一方で中日からすれば、柳が人生屈指の好投を見せていたのにそれがパーになる展開になりました。
ただ、ここで、そのホームランを打たれたピッチャーを責めることはできないでしょう。開幕から04か月間、最後バトンを受け取り高い確率でゴールテープを切り続けていたライデル・マルティネスです。
今年のみならず、これまで彼の力でいくつ勝ってきたのか。その事実を棚上げして追及なんかできない。

ここで思い出した試合があります。さかのぼること24年前になる1999年09月26日(日)、ナゴヤドームの阪神戦でした。

優勝マジックを点灯させ、連勝が続き勢いに乗っている中日。
この日も01点リードで09回表を迎え、快勝といきたいところでした。

しかし、阪神は3番センター新庄剛志と4番ファースト大豊泰昭がヒットを放ち得点圏にランナーを置きます。
ピンチを迎えた中日は、ルーキー岩瀬仁紀に代わりマウンドに宣銅烈が上がります。
そして6番ショートでスタメン出場していた今岡誠に代打が告げられます。

そのマーク・ジョンソンはフルスイング。打球はライトスタンドに吸い込まれる逆転スリーランホームランとなりました。
宣銅烈、セーブ失敗の結果でした。

この時点で私(当時小学生)は、

「宣だもんなあ、力が落ちているのはわかるけど怒ったらダメだわ」

と言っていました。

1995年オフに中日に入団した宣銅烈は、02年目の1997年以降ナゴヤドーム本拠地のチームにおいて勝ちパターンの一角として安定投球を見せていました。
特に1997年は当時のNPB最多となる38セーブを記録しました。最下位に沈むチームの数少ない明るい話題でした。
愛知トヨタのクラウン賞を受賞しています。

ただ、1999年は37歳になるシーズンであり、打たれてしまう試合が散見されました。
特に衝撃を受けたのは06月13日(日)、横浜主催試合でした。
最後の最後で横浜マシンガン打線に火が付き、宣銅烈は負け投手になったのですが、09回の裏に刻まれた得点は"6X"。

2019年06月16日(日)千葉ロッテ主催中日戦でも中日が05点リードを守り切れず大逆転負けしましたが、似たような展開で中日が負けた試合がその20年前にありました。"マリン6x"ならぬ"札幌円山6x"です。

この試合後に宣銅烈は2軍降格となりました。さらに、責任をとろうと引退を申し入れたとのことです。
ただ、この時は慰留され現役続行となりました。

その後再び1軍の抑えを務められるようにはなりましたが、優勝を目前としている状態で再びセーブ失敗の結果となり、残酷な現実を見たのでした。
実際に、同年シーズン終了後に宣銅烈の引退が発表されました。

しかし、簡単には終わらないのが1999年のセ・リーグチャンピオン、中日ドラゴンズでした。
ビハインドの展開となった09回裏、4番サードレオ・ゴメスと5番セカンド立浪和義が阪神のピッチャー福原忍からヒットを放ち塁を埋めます。

そう、表の阪神の攻撃と似たような展開で、舞台が作られました。

6番ファースト山崎武司が右バッターボックスに入り、02球目を叩くと打球はレフトスタンドへ一直線!
山崎本人もすぐに走り出さなかったほどで、打った瞬間という表現がぴったり当てはまるものでした。
スリーランホームラン返しで逆転サヨナラ勝ち。中日は連勝を伸ばし、優勝マジックを減らすという、1999年ナゴヤドーム最終戦は本当に強い中日ドラゴンズといった試合でした。

同時に、一時的に決勝点になるであろう得点を献上した宣銅烈は負け投手になるところが一転、勝ち投手になりました。
勝ち投手の座にふさわしいのは先発し07回自責点0の武田一浩の方ではありますが、ルール上仕方ありません。

「これ以上宣銅烈が負け投手にならなくてよかった!」

というのが、現在改めて思うことです。山崎のホームラン抜きでは語れない試合ですが、私は長年頑張ってきた名投手に負けがつきそうだった試合を最後ひっくり返して勝ったことが本当に大きなことだと感じています。

そう、本当に似た展開となったのが2023年08月13日(日)だったのです。
10回裏の攻撃にて、中日は4番ファースト石川昂弥が矢崎拓也から同点ソロホームランを打ってライデル・マルティネスの負けを消します。
そして、5番キャッチャー宇佐見真吾も続きました!連続となるサヨナラソロホームランで中日が勝ったのです!!

同様に、勝ち投手はライデル・マルティネス。これは柳がノーヒットノーランどころか勝ち投手にもなれなかったのはお気の毒です。
と言っても、これまで防御率0.00で勝ち試合を作り上げてきたライデル・マルティネスの防御率0.00が止まったと負け投手になるが同時に発生しなかったこと。防御率の記録も止まり負け投手になったとなると、中日にとっては本当にダメージが大きかった展開になっていました。

2023年シーズンは最多セーブにはならずも32セーブと、抑え投手としては十分の成績です。
そして、防御率は0.39。敗戦数も01でシーズンを終えたため、本当に最少失点という表現で2023年のシーズンを駆け抜けました。

2024年になり、ライデル・マルティネスは07月11日(木)と28日(日)に自責点がついて、チームも敗れてしまうことはありました。それでも、変わらず抑え投手の仕事をしています。

宣銅烈、ライデル・マルティネス(とその間の岩瀬仁紀もそうですが)、抑え投手は抑えて当たり前の感覚になりがちであり、その一方で失敗すると風当たりが強くなるように思います。その分高額年俸を受け取っているから当たり前という意見も理解はできますが、それでも人間である以上100%はありません。

抑えの仕事がうまくいかなかった。でもチームメイトがすぐさま帳消しにするかのような活躍で勝った。
チームスポーツの醍醐味と言えるこの点を思い出し、これからもプロ野球を見ていきたいです。

ありがとうございました。

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