愛の対義語が「無関心」ならそれを実践すればいい。
嫌なこと、嫌いな人がいるとどうしてもそれ(その人)を意識してしまうもの。特に人の場合はこう言い返そう、あれを指摘しよう、あれは私が正しい、などと、日常的な関わりがあるほどに余計なことを考えてしまう。
ところで、「愛」の対義語が「憎しみ」ではないということをよく目にする。愛の対義語は「無関心」であると。
でも冒頭で書いたように一般には嫌いな対象に向けて抱く感情は「無関心」であることは少なく、たいていは「憎悪」とか「嫌悪」の類だろう。
何も工夫しなければ、無関心というのは実践するのが難しい。
でも意識すればできないことではない。
ここでいう「意識する」はもちろん嫌いなことを考えることではない。好きなことや本来フォーカスすべき対象に意識を向けるよう努めること。
嫌いなものを遠ざけることができるならそれについて考え続けることに意味がある。
でもそうではなくて「あの人がいなくならないかなぁ」とか「なんで私ばっかり辛いんだ」といった、ただ負の感情を味わうみたいな状態は少ないに越したことはない。
「考えないように意識する」ことは難しい。例えば「ケーキのことは考えちゃダメ」と言われると返って意識してしまう。
一方で「すき焼きのことを考える」ことを意識するとケーキのことを考える時間はない。
私は野球が好きだが、攻撃の際に低いコースのボールを打たない作戦を取りたい場合に、「低めは打つな」よりも「高めを打て」と指示した方が効果的だと聞いたことがある。
なので、嫌なもの・人に対して「無関心でいよう」と考えることはベストなやり方ではない。
結果的に無関心となるように、何か別のこと、できれば好きなことを考えることがいい。
私の場合は、考えたくないことが浮かんできそうになったら好きな本を読んだり洋服を選んだりして、意識の方向を変える。あるいは体を動かして思考力を下げたりもする。
意識のベクトルを変えることはいきなりできたわけではないが、ちょっと前までは思考の結構な割合を占めていた嫌なことが最近ではだいぶ減ってきた。
代わりに頭の中はポジティブなことが増えている。
嫌なことが頭にあると自分が不健康であるのはもちろんだが、相手には何のダメージもない。相打ちならまだしもただただ自分が苦しいという誰も得しない状態。
考えない、ではなく別のことを考える思考は、試すだけでもかなり気が楽になるのでおすすめです。
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