僕たちはなぜ働くのだろう
月曜日。多くの国民が、悲壮な表情を浮かべながら満員電車に揺られている。ほとんどの人がボーッとした表情でスマホをいじりながら、会社へと向かっていく。
そんな国民の、頭の中を少し覗いてみる。
「私は何のために働いているんだろう?」
そんな問いかけが浮かんでくる。誰もが一度は考えたことはあるはずだ。今回は、この問いかけについて考えていく。
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僕たちは、基本的に「資本主義社会」を生きている。そこで生きるためには「お金」が必要だ。「お金」がないと、食べるものも買えないし、住居に住むこともできない。
そしてその「お金」を稼ぐためには、働かないといけない。そして、たくさん働いて成果を出せば、その分もらえるお金も増えていく。
僕たちは、そういう世界観の社会で生きている。
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お金を稼ぐためとはいえ、世の中には、「この仕事がなくても世界は回るんじゃないか?」と感じる仕事も多い。
何を見張っているのかよく分からない警備員がいる。レジ打ちの仕事は必要だが、最近では「無人レジ」なるものが登場し、近い将来その仕事は無くなっていくだろう。
もっと言えば、ホワイトオフィスワーカーの仕事であっても、究極的には、こんな結論に帰結する。「この仕事、俺じゃなくても出来るんじゃないか?」
もちろん、どんな仕事にでも、多少の必要性はある。しかし、「自分である必要性はない」という事実を前にして、どれだけのモチベーションを人は保てるのだろうか。
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「ベーシックインカム」という比較的新しいコンセプトがある。「全国民に、必要最低限のお金を、政府が一律で支給する」という政策のことである。
このコンセプトに賛否両論はある。しかし、仕事が機械化されていくと、人間が働く必要性は少なくなっていくだろう。つまり、働ける場所が少なくなっていく。
そうなってくると、「ベーシックインカム」は非常に有力なスキームになりうる、と僕は思っている。
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本格的に「ベーシックインカム」が導入された社会では、仕事をする必要はなくなる。必要最低限のお金をもらえるからだ。
「仕事がなくなる」というのは、素晴らしいことだと思う。一見、そう感じる。でも、本当にそうだろうか?
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朝、目が覚めても、仕事に行く必要はない。やることは何も無い。その時、僕たちは何をするのだろうか?
重たい体を起こす。リビングに座って、ボーっとしながら、スマホをいじっている。あれ、何かおかしいぞ?と思う。
前に通勤電車に乗っていた時と、何も変わっていないんじゃないか?
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何もすることがなくなった人たちは、最終的に、何かを始める。ある人は絵を描き始めるかもしれないし、ある人は小説を書き始めるかもしれない。
表現者だけではないだろう。NPOでボランティアをする人もいるかもしれない。働いていてみたかった会社で働き始めたりするかもしれない。あるいは、チャレンジしてみたかった職種の勉強を始めるかもしれない。
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つまり、僕らは、やっぱり「働く」のだと思う。
仕事をする必要がなくなったとしても、仕事をせずにはいられない生き物なのだ。
仕事は、生きる理由でもあるのだ。
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「なぜ働くのだろうか?」という問いには、人生の全てが詰まっている。それは、あなたの生きる意義に直結していく。
僕たちは、「仕事をしなくていい社会」でも、きっと、仕事をする。それなら仕事においては、自分のやりたいこと、心からチャレンジしたいことに挑戦するべきだ。
もらえる給料の多寡や、福利厚生といった、副次的なもので選ぶのは、生きていくには勿体無い。
もちろん、お金も大事だ。でも、生きる意味の方が、もっと大事じゃないだろうか。
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「私は何のために働いているんだろう?」
もし今、この答えがわからないのなら、必死に考えなくてはいけない。
その答えが見つかったあなたは、朝の通勤電車で、一人だけ、少し明るい表情をしているだろう。
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