結婚とタバコは似ている
結婚とタバコは似ている。どちらも、それを経験した後、それ以前の状態に戻ることはできない。
タバコは一度でも吸ってしまえば、そのあとに残されるのは「喫煙者」か「禁煙者」だ。「喫煙したことのない者」には、もう二度と会えない。
同様に結婚についても、結婚した後は、「既婚者」か「バツイチ」しか残されていない。「未婚者」だった自分の姿は、もうどこにもいない。
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人生には、時々、そういう不可逆な意思決定というものがある。一度経験をすると、経験をする前にはもう二度と戻れない、そんな意思決定だ。
いや、正確に言えば、「全ての体験は不可逆なのだ」と言えるのかもしれない。初めて飛行機に乗ることも、初めてパクチーを食べることも、全て一回限りのものだ。それを体験した後、それを体験する前にはもう戻ることはできない。
だから、僕がここであえて「不可逆な」と強調する時、そこにはひとつの思惑が含まれている。すなわち、その行為によって、ある種の「新しい人格」が形成されるような、そんな行為ということだ。
もう少しわかりやすく言えば、「不可逆な意思決定」は、それ以前と以後を「明確な言葉」によって分かつ。それは、喫煙者や既婚者、そういう類の言葉だ。
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定義の話はこの辺までにしておこう。ともかく、そのような「不可逆な意志決定」を目前にすると、人は大抵の場合、逡巡する。
怯むのは、当然のことだ。だってそれは、不可逆な意志決定なのだから。もう以前の状態には、絶対に戻れないから。
結婚を目前にした男女は、自問自答を繰り返す。これで本当にいいのか。もっと他に選択肢はないのか。後悔することは絶対にないと言い切れるか。
無論、言い切れる人間なんて、どこにもいない。もしいるとしたら、恋のメガネを通した幻想によって、思考を操作されているのだろう。
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結婚した後、僕らには「奇妙な世界」が訪れる。今回書きたかったのは、その「奇妙な世界」についてだ。
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結婚した後、そこに残された二人は、それによって「増えるもの」と「減るもの」があるのだ、と気がつく。
増えるのは、例えば、故郷だ。これまで観光として訪れていた沖縄が、いつの間にか、自分の地元になってしまう。あるいは自分の地元になるのは、これまで行ったこともないような都市かもしれない。最初は少しこそばゆいけれど、次第に「ただいま」と言えるように、自分の体が変化していくことに気がつくだろう。
そして、減るのもはというと、例えば、苗字だ。二人分あったはずなのに、いつの間にかどちらかの苗字が採用されている。相手の苗字を使うことで新鮮な気持ちになったり、相手が自分の苗字を名乗ることに気恥ずかしさを覚えたりするだろう。
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何より奇妙なのは、血の繋がってない家族、その事実だ。夫婦というのは、唯一、血の繋がらない家族なのである。
たいていの場合は、親も子供も、自分と同じ血が流れている。それなのに、一番長く一緒にいるであろうパートナーという存在だけは、絶対に自分と血が繋がっていないのである。
朝起きると、これまで全く他人だった人間が、自分の家族として隣で眠っている。「僕は何をやっているんだろう?」一瞬考えて、ああ、この人と結婚したんだな、とじんわりと実感する。
その事実に、僕は神秘性すら覚える。そして、運命という言葉の意味を、少し考えてしまったりもする。
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「奇妙な世界」は、実際に体験してみると、けっこう面白い。一人きりで生きていたとしたら、絶対に起こらないことばかりだからだ。
心の準備ができたらなら、「奇妙な世界」に、二人で足を踏み入れてみてほしい。それは不可逆な意思決定だけれど、きっと案外、悪くない。
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実は、不可逆な意志決定というのは、深みを増していく性質を持っている。
タバコを吸った人間は、その後、タバコミュニケーションによって人生の機微を知るかもしれない。あるいは、異国の地で初めての葉巻を経験するかもしれない。
結婚も同じで、結婚したことのない人間に、子供を育てる喜びは分からないだろう。孫が生まれてくる感動は味わえないだろう。
不可逆な意志決定は、決して悲しい行為ではない。新しい未来を切り開く、飛び道具でもあるのだ。
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