サムネ

小説の未来を考える

僕は小説をよく読む人間だと思う。移動中の電車の中で、旅先のホテルで、あるいは家の近くのカフェで。kindleを通して読むこともあるけれど、小説はやっぱり紙の本の方がいい。

そうして活字を目で追いながら、ふと疑問に感じることがある。このフォーマットはいつまで続くのだろうか?つまり、この「小説」という形態を取ったアートは、この先もずっと存続するのだろうか?

今回は、そんな小説の未来について考えてみる。

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未来を考える前に、まずその歴史を振り返ってみよう。

長編小説というくくりでいうなら、日本の「源氏物語」が世界で最も古い、らしい。小説というフォーマットは、1000年以上もの間、ずっと受け継がれている。

また、「物語」というくくりで言えば、紀元前2千年ごろの「ギルガメシュ叙事詩」などが世界最古の文学作品と言われている。そう考えると、文学作品というものは、実に4,000年以上の歴史を持つことになる。

そんなに長い歴史を持つ芸術はあまりない。文学と同程度の歴史を持つ芸術と言えば、音楽と絵画くらいだろうか。

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ユヴァル・ノア・ハラリが「サピエンス全史」で指摘したように、人間は物語を求めているようだ。

例えば、あらゆる宗教は物語だ。聖書はイエス・キリストを語り、イスラム教のコーランでは唯一神・アッラーからの啓示が記されている。

宗教だけでなく、物語は現在にいたるまで、時には娯楽として機能し、時には誰かの人生の拠り所として存在してきた。

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人間は物語を必要としている。では、物語が求められているとして、それが小説という形式をとる必要はあるのだろうか、というのがここでの論点になってくる。

結論を言ってしまうと、小説という形式の物語も当分はなくならないのでは、と僕は考えている。なぜか。需要と供給の面からそれを分析する。

まず、供給について。僕は、小説を書く人が「いなくなることはない」と思っている。

小説というのは、もっとも制作コストが低いエンターテインメントだ。1人の人間が、ポチポチとタイピングしていれば出来上がる。こんなにコスパの良いエンターテインメントは他にない。

そして、これから本格的なエンターテインメントの時代が訪れる。衣食住が満たされた人々は、それ以外の「娯楽」をより追求するようになっていく。そういう時代に、「小説を書いてみよう」と考え、実際に書き始める人は、少なくないと思う。

「小説を書く人がいても、本屋がなくなったら、それを買える場所がなくなってしまうのでは?」という意見もあるかもしれない。

しかし、今後はインターネット書店やkindleといったデジタルな販路が主流になってくると思うし、もっと言えば、そもそも本屋はなくならない、というのが僕の立場だ。

それでは、需要はどうなのだろうか。小説が好きで定期的にそれを購入する人は、今後もいなくならないのだろうか?

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そもそも、人はなぜ小説を読むのだろう。それを考えることこそが、重要だ。面白いストーリーを楽しみたいから?暇つぶしのため?

色々と考えていって、僕がたどり着いた結論がある。人が小説を読むのは、「感動」を求めているからだ。ここで僕が言う「感動」は、単にストーリー展開や人物描写に限った話ではない。小説を読んで、僕たちが胸を打たれるのは、畢竟、「たった一人の人間がこれを書き上げた」、その事実にある。

小説は、その意味で、絵画に似ている。絵画を見て感動するのも、「たった一人の人間がこれを描いた」という事実に対してではなかろうか。人は小説を求めるだろう。それは、物語だけではなく、その物語を通して作家本人からのパワーをもらうために。

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何百年、いや、何千年かもしれないが、遠い未来には、テレパシーが使えるようになると思っている。テレパシーというと突拍子もないが、表情や脳の微妙な動きによって、コミュニケーションを取ることが可能になると思う。(現に、仲のいい飼い主と犬は、アイコンタクトで意思疎通ができる)

その世界では文字による意思疎通はなくなり、人々は会話をせずとも、テレパシーによってコミュニケーションができるようになる。

そして、人間が文字を必要としなくなったその時、小説というフォーマットもまた、終わりを告げるのだと思う。

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深夜、部屋の明かりを消した後、ベッド脇にあるスタンドライトを灯す。そして昼間に近くの本屋で買ってきた小説を取り出し、ひっそりとページを開く。

その小説は、まるでその瞬間をずっと待ち詫びていたかのように、流れるような自然さで文章を差し出す。僕は何も考えず、ただその物語に、夜と一緒に溶け込んでいく。

文字がある世界に、多大なる感謝を捧げながら。

読んでいただきありがとうございました。また、サポートをくださる皆さま、いつも本当にありがとうございます。心から嬉しいです。今後の執筆活動のために使わせていただきます。