違う出会い方をしていれば、恋に落ちていた
「あなたと違う出会い方をしたら、恋に落ちていたかもしれない」
ある女性にそう言われたことがある。当時、僕はすでに結婚していたし、そう言ってきた彼女にも素敵な恋人がいた。
僕は、うーん、と少し考え、答えた。
「そうかもしれない」
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世界には何億人という人間がいるけれど、僕らの時間は限られている。
人生において、恋に落ちるということを、果たして何回経験できるのだろうか。
初めて人を好きになるという経験をした、小学生の頃。一世一代の告白をして振られて、泣きじゃくった高校生の頃。大人と子供の狭間で、付き合っているのかよく分からない、それでも好きだった大学生の頃。
その中で、本気だったと言い切れる恋愛が、どれだけあっただろうか。
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結婚はタイミングだ、と思う。
然るべき相手と、然るべきタイミングで付き合っていたら、二人は結婚という選択肢を視野に入れる。
「運命の人」と言えば聞こえは良いけれど、言うなればそれは、タイミングが良かったという話でしかない。
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妻に以前、こう言われたことがある。
「もしあなたに、私より好きな人ができたとしたら、私たちは別れるんだろうなぁ、あなたの幸せが、私の幸せだから」
これはちょっぴり、悲しい諦念だ。言い換えれば、こういう風にもなる。
「あなたと違う出会い方をしたら、恋に落ちていなかったのかもしれない」
僕らはたまたま出会って、たまたま恋に落ちた、と。
運命というものは、こんなに悲しいものなのだろうか。僕らが神父を前に誓い合ったのは、ただ、形式的な儀式のためだったのだろうか。
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悲しいかな、実際、「違う出会いをしていたら…」と思う人は、いる。
とても外見が好みだったり、その上、話す内容が異常に合ったり、そういう人は、存在するのである。
そういう人に、もし、結婚する前に出会っていたらどうなったのだろう?
違う出会い方をしていたら、どうなっていたのだろう?
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僕はここで、ある空想を広げる。それは、僕を救う、いや、僕らを救う、とても馬鹿げていて、それでいて美しい空想だ。
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人生はひとつしかない、というのが通説である。
でも僕は、複数の現実が存在して、僕が今自覚していない現実が、この世界ではないどこかで展開されているのではないか、そんなことを考えている。
パラレルワールドだ。
7次元の世界において、僕は、妻ではない人と出会い、恋に落ちている。 その僕は、僕の地球での姿を、露とも想像していないのかもしれない。
「あなたと違う出会い方をしていたら、恋に落ちていたかもしれない」
この言葉は、実は、間違っているのだと思う。つまり、ここではない世界で、僕らは違う出会い方をして、当然のように恋に落ちている。
そして、僕は、地球で起きるこの人生は、妻と結ばれたこの人生は、やっぱり運命だったのだ、そう確信をするのである。
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