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卒論提出現場ルポ 20秒後の留年

 年が明け、正月ボケを引きずりながら仕事に向かうこの時期、ツイッター上では教授や学生など大学関係者から、にわかに卒業論文の話題が出始める。期限内に提出できなければ、即刻留年、就活の奮闘は全てが無に帰す。研究成果がない学生に単位はない。学費が発生し、1年間(場合による)留年のレッテルが貼られることになる。当事者でもあった筆者が、某大学某学部の卒論提出現場の期限直前の切迫した様子を報告する。

※卒業論文 大学などにおいて最終学年の学生が提出する研究論文。多くの場合提出しなければ卒業できない。専門分野でクラスが分かれ、早い場合だと3年生の頃から研究内容を決めて執筆するように教員から言われる。大学入学当初は、なぜ1年間も書く時間があるのに焦っているのかと疑問だった。そして今も謎だ。なぜ時間があったはずなのに書いていなかったのだろう。

 今回報告する学部では1月9日、10日の10時から17時が提出期限だ。学生に送られた提出要項には、太字に赤の波線で、期限に遅れた場合は理由を問わず受け付けないとある。論文はWordで作成、印刷する人が多い。厚紙の表紙や証明書類の貼付が必要となる。提出場所は教室で、中には受け付ける職員が2人、奥で作業をする職員が数人という簡素なものだった。作業用の机1台が教室前にあるが、ペンがあるくらいで、論文を綴じるためのパンチや厚紙などがあるわけではない。職員は見た目で分かる提出様式の確認しかしない。

時系列報告

1月9日 
13時半ごろ 締め切り27時間30分前
 大学のPCルームは昼休みが終わったあとにも関わらず15人ほどがパソコン待ちで列を作っていた。20台に1台ほどの割合であるプリンターにもそれぞれ常に数人が張り付いている状態だ。丸一日の猶予があるため、それほど慌てている人はいない。提出教室は、混まなくとも間断なく学生が訪れている。

1月10日
16:22  締め切り38分前
 構内は授業が終わった学生が帰路につき、あっという間に人口密度が下がる。この時間にプリントしていたらかなり危うい。さすがにPCルームは空いており、プリンターも待たずに使える。ただ、数人の焦燥した学生が小走りで出ていき、真剣な表情でパソコンに向かう人もいた。

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(16:27撮影、キャンパスから見えた夕景)

16:30 締め切り30分前
 提出教室のある棟前で提出を終えたと思われる学生と友人の会話。相手は先ほどPCルームにいた学生だ。「卒論今から提出するん?ギリギリやん」。

16:32 締め切り28分前
 提出教室周辺は閑散として時折人が通るくらいだ。行列もなく辺りに学生はほとんどいない。教室から職員が、卒論が入っていると思われるカゴを台車に載せて運び出している。

16:36 締め切り24分前
 2人の女子学生が到着し、提出をすませる。

16:38 締め切り22分前
 職員が教室入り口で仁王立ち。

16:42 締め切り18分前
 荷物が多い息切れした女子学生1人が到着、提出。

16:46 締め切り14分前
 再び職員が仁王立ち。直後に女子学生2人が到着、うち1人はすぐに提出。もう1人は作業台で仕上げの作業。

16:48 締め切り12分前
 女子学生2人が到着。

16:50 締め切り10分前
 さらに女子学生3人が到着し提出、46分に到着した学生も提出。さきほど提出を終えた女子学生が筆者の隣のベンチで休憩している。

16:52 締め切り8分前
 学生2人が到着。

16:53 締め切り7分前
 職員が廊下に響く声量で作業台にいる学生に声をかける。「これで出すんですか?17時過ぎたらいっさい受け取らないんで」。口調が少し厳しい。
 男子学生が2人到着。職員「急いでくださいね」。男子学生は「これがいるんですか?」と焦っている。

16:55 締め切り5分前
 女子学生2人が到着。先ほどの1人、ピンク色の髪の男子が慌てた様子で階段を駆け下りる。彼の姿をこの後見ることはなかった。

16:57 締め切り3分前
 高齢の学生が到着し、提出。職員「あと3分です」。直後、作業台から学生がいなくなる。

16:58 締め切り2分前
 作業台が撤去される。直後に提出場所の案内表示も撤去された。

17:00 締め切り0分前
 教室の扉が閉まる。およそ20秒後、1人の眼鏡をかけた小柄な男子学生が息を切らせ駆け上がってきた。扉を引くも鍵がかかっている。困惑した様子で別の扉も確認するが、閉まっている。筆者があの扉ですよ、と声をかける。学生がさきほど閉められた扉をまた確認する。やはり開かず、ガタガタしていると、鍵を開けて初老の男性職員が顔を出した。

 この時点で筆者がiPhoneで時間を確認すると17:00だった。

 職員「卒論の提出ですか?」
 学生「提出したいんですが」
 職員「もうしめたので受付できません」
 学生「どうしてもできないですか」
 職員「毎年、きっちりやっているので、どうにもならないです」
 学生「どうにかできないですか」
 職員「こればっかりは、できないです」

 呆然とした様子の学生は、しばし立ち尽くし、ゆっくりと階段を下りて行った。あと30秒早ければ、もしかしたら、卒業できたかもしれない。ちなみにこの大学の学費は年間で100万円を超える。

17:03 受付終了
 職員が退出した。

17:04 受付終了
 女子学生が1人やってきた。廊下を見渡し、奥の部屋から出てきた人に声をかけている。「卒論提出はここですか?」。筆者が提出教室から職員が出ていった旨を伝える。学生は礼を言って、平然と、あるいは何が起こったのか分からないというような表情のまま階段を下りて行った。 

17:04 ~17:10 受付終了
 提出教室の後方の扉から学生と思しき男女2人が退出した。先ほど卒論を出しに来た学生のようだ。中で作業していたのだろうか。

17:10 受付終了
 締め切り後にやってきた女子学生がまたやってきた。奥の部屋から出てきた女性に声をかけている。

 学生「卒論提出はここですか」
 女性「ごめんなさい、私は分からないの。事務所に行ってみたら」
 学生「分かりました。ありがとうございます」

 女子学生は階段を下りて行った . . . . . . 

提出後の余韻

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(提出教室の入る棟1階の食事スペース)

 寸刻の差で提出できた男女の学生2人が提出教室前にあるベンチで休憩していた。女子学生は、資料70枚を含む100枚の大作をあと10分で無駄にするところだった。「寝坊しちゃって、PCルームで修正してたんですけど数字の置換で間違えたんです」。提出後もしばらくは不安感が続いたという。

 2分前に提出した男子学生は「怖かったです」と胸をなでおろす。だが、彼の論文は1,1000字程度だそうだ。要項には「20,000字程度」とある。普通に考えると卒業は無理ではないだろうか。今年が定年で退くという、彼の担当教員の置き土産になってしまわないことを祈る。

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(夜になり閑散とするキャンパス。提出が締め切られると同時に太陽は沈み、あっという間に暗闇が訪れる)

 報道によると10日のこの日、別の大学の准教授が、担当していた学生に刃物で刺されたという。時刻は16時過ぎ、締め切りの1時間前だ。レポート提出や単位取得によりトラブルになったと言われている。単位取得や卒業を巡っては、教員に土下座した、母親が泣いて頼んだ、内定先の社長に土下座した、など厳しい話も聞いたことがある。ここまで読んでくれた学生諸氏は、先輩の恐怖体験を是非教訓としてほしい。20秒で留年(おそらく)となった、あの男子学生の心境を実感することがないように。

(文・写真 有賀光太)

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(締め切り3時間半後の夜。晴れた空に満月が浮かんでいた)


 

 

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