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「運命と宿命をクリエイトする」第17回コア学ゼミ(2021年1月)


この記事は

毎月開催されるコア学研究所の講義を書き起こししたテキスト(有料記事)となります。コア学研究所プレミアメンバーには毎月読むテキストとしてPDFをお送りしております。

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自分の宿命に気づいて受け入れる


今回のコア学ゼミのテーマは運命と宿命についてです。コア学サロンの続編のまとめみたいな話になります。運命と宿命っていう2つの道をどうやって渡り歩くか、どうやって分離せずに一緒に生きるか、両方の生き方をどうやって実現していけばいいかということをお話していきます。 まず運命と宿命の違い

を図で軽く説明します。

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宿命は分かりやすいので宿命から先にお話していくと、宿命って「命に宿る」って書きますので、既に宿ってるって感覚です。私たちのあるがままと言ってもいいでしょう。宿命は既にもらってるものですね 。例えば私の場合は、髪質がすごくいいんだよねって話をコア学サロンでしました。この髪質は私が努力で得たものではなく、頂き物なんですよね。うちの家族とか家系とか遺伝、DNAによるものです。


遺伝とか全部宿命なんです。変えることができるないというか、変える必要がないものなんですね。ただし、資料にも書いた通り、宿命は増えることも減ることも基本的にないんです。宿命っていうのは自分が既に与えられているものを生きるということです。

私はずっとショートカットでいいと思ってたし、ずっとショートヘアだったけど、実はちょっと意地を張ってたところがあって、本当はロングヘアが良かったんだけど、別にいい!みたいに突っぱねてたところがあったんです。ただ、あるとき、私がもともと持って生まれた素晴らしいもの、自分に与えられてるものに気づいて、与えられている自分をしっかり生きるって大事なんだなって気づいたときから髪の毛のばそうと思ったんです。

宿命っていうとなんとなく大きなことってイメージありますよね。自分のお役目っていうと、誰かに何かをしてあげるとか、社会的に何か良いことするとか。でも、宿命ってそういうことではなくて、自分にしっかり既に与えられてる自分の命だよね、自分の命に宿っているものを生きることが、私たちの宿命だということになります。

白髪がなかなか出ない家系だとしたら、それも宿命です。逆に白髪がダメかっていうとそんなことはなくて、それも命に宿っているものなので宿命だということです。宿命は気づいて受け入れていくことがすごく大切です。命に宿る全てなので、エネルギー値が強いということになります。多くの場合、宿命というのはエネルギー値が非常に強いがゆえに、特に幼少期の頃とか、自分の経験の中でうまく自分の宿命をコントロールできずに、非常に嫌な思いをしてしまうこともあります。

命に宿るものだから、自分の持ってる性質とか、自分の持ってるエネルギーの使い方とか、性格的なものもそうだね。DNAも種類があって、どうしても怒りっぽい家系とか血筋ってあるんですけど、うちはたぶんそうです。皆さんの性質とか性格も、運命の部分と宿命の部分に分かれるってことなんですね。

宿命の部分ってエネルギー値がすごく強い分、コントロールが難しかったり、エネルギーの強さゆえに周りに強い影響を与えてしまうので、自分で宿命に気づいたり、宿命をコントロールできるようになるまでは、自分の宿命に振り回されたり、宿命を見ないようにしちゃったりすることもあります。

つまり、あるがままの自分を生きないってことだよね。自分の宿命によるエネルギーの影響も受け取らないってことです。そこに覚悟がないって表現もできるし、そういう自分を生きたくないから目を背けたりすることもあります。

世の中の常識って私たちの宿命を全然考慮しないんです。考慮されるようにできてない。例えば結婚制度とか働き方の制度とかって、1人1人の宿命に合うようにできてないんです。誰の宿命にも何か合わないんですよ。だから。宿命を生きるっていう時点で、世の中の一般常識とか、誰が作ったかもわからないような制度とか社会的制度とかって、本当の意味で適合できる人って1人もいないんですよ。宿命っていう意味で言ったら。

私の友人とかある人を見てると、この人は本当に一人の人を愛するってことが無理な宿命というかDNAだなと思う人もいます。浮気症ってことでもないんだよね。ある人は60歳くらいの男性なんだけど、5、6人の女性との間に子供を作って全員認知して大家族です。でも誰とも結婚してないんだよね。その人は宿命って言い方はしてないけど、自分はそういうDNA だから、そういう変えられない自分の部分があるから、それを受け入れて自分は結婚しないんだって言い切った方もいました。そういうのもあるなぁと思ったりね。

遺伝もそうだし、家系のDNA で引き継いだものもそうだし、ご先祖様とか過去世とかも宿命に入りますけど、そういったものは変える必要はないけど 、エネルギー値が強いからそれに対してコンプレックスを持ってる可能性も強いし、自分の宿命ってなかなか受け入れられないという傾向は誰にでもあります。

資料に書いてある通り、宿命に気づいて生きていくことが自分を知ることになります。だから、自分を知れば知るほど、自分の宿命に気づいて受け入れていくことになるんですが、 宿命を変えようとすると苦しいです。変えようとすると苦しいし、変えられないというよりは変える必要がないんだなってところに結論として落ち着くのが宿命の特徴となります。

いまの自分っていうのが、100% 全部あるがままの自分で100%宿命ということではなく、宿命と運命の混在したところにいつも生きていると覚えておいてください。宿命だけを生きることはできないとかそういうことではなくて、コアな自分、本質的な自分が求めてる生き方っていうのが宿命 ×運命のコラボレーションなんです。

だから、宿命だけを生きるってことを自分のコアは望んでいないので、宿命はさっさと受け入れる方がいいです。楽です。宿命を生きることは楽にはなるんだけど、宿命を生きていても楽しくはないっていうのがポイントかな。

運命においては自分が主役で他の人は全て脇役

次に運命の説明に行きましょう。運命はいくつも同時に存在するパラレルな世界となります。パラレルワールドって言葉だったり、未来は選べるって表現をすることもあるし、 いろんな世界が同時に複数存在しているって話を聞いたことある方もいると思います。そういったものは全て運命の方の話です。いろんな世界が同時に、いろんな運命が同時に存在しているんですけれども、その瞬間体験できる運命はたった1つだけです。

映画と一緒です。映画館でいろんな映画が同時上映されてるんですけど、そのときに見られるのは1つの映画だけです。同じ映画館でいろんな映画が上映されているけれども、映画館のシアタールームを移動しない限り見てる映画は変わりませんよね、運命も同じで、自分のいる部屋、自分の見ている映画はいくらでも変えることができるんだけど、基本的にいろんな映画を1つのスクリーンで見ることができないということです。

運命の中ではその人が主人公となります。他の人は全員脇役です。例えばうちのスタッフで岡本さんって人がいます。岡本さんが生きている運命の中では岡本さんが主人公なんですが、岡本さんにとって私は脇役となります。一方で、私にとっては岡本さんが人生の脇役で、私が自分の人生の主役。その運命の中の主役 、主人公を生きています。

これをどう考えると面白いかっていうと、私が社長で、岡本さんが私の部下だとします。この映画の中では、岡本さんにとって私は社長で、岡本さんは部下って配属なんだけど、岡本さんの人生においては、秦由佳さんという人間の部下をやるという主人公がメインなんです。運命とかも全部ストーリーなんだけど、映画とか運命の中で優劣ってあるんですよね。運命って必ず優劣とか強弱とか、二項対立の世界だから。運命って基本的にそういうところがあります。

いくら自分が低い位置、弱者とか敗者とか呼ばれるような位置にいたとしても、その映画の中においては、自分がそのポジションをわざわざ選んでいる。そのポジションの主人公って感じなんですよね。この感覚を持つことが結構重要で、自分の人生の中で自分は主人公だっていう、自分の運命において自分が主人公。これは絶対なんですね。

例えば皆さん、心の勉強とかしている中で、自分の人生、自分が主人公なのに、誰かに自分の人生の主導権を握らせてたなって気づいたときがあったとしましょう。そしたらどういうことが起きるかっていうと、誰かに主導権を握られるという主人公をやってる運命にいるってことなんですね。

自分が誰かに主導権を握らせてたとか、自分軸がなかったとか、自分を見失ってたとかっていうのも、自分を見失っている運命ではなく「自分を見失っている主人公」という映画を生きてるってことなんです。だから自分が主人公ではなさそうな運命を生きているようでも「主人公ではなさそうな主人公」っていうのをあえてなぜか選んでるんです。そのパラレルにいるんだって考えることが非常に大切となります。

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