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予備校の先生を始めたきっかけ

高校生活では、バスケ部を続け、マラソン大会では全校で2位の成績。体力も自慢になっていました。
また、高校2年生からスタメンになり、顧問の先生にも育ててもらっているという愛情と思いがあり、必死に練習をしました。部長とキャプテンを兼任しましたが、仲間が退部していったりと、独り相撲状態になっていました。「なんで、言うことを聞いてくれないんだ!」「仕事がこんなにあるのに、なぜ、誰も手伝ってくれないんだ!」と、自分本位で傲慢な私に、仲間の気持ちは離れていき、いつもイライラしていていました。

良い時期ではありません。

部活も、学校の成績も、家族も、全てがうまくいっていませんでした。
私には相談する先輩がいました。その先輩は生徒会長です。とても面白い人でした。朝3時に集合して、1時間かけて学校に一緒に自転車で行きました。今は、本当に良い先輩で、いつも遊びに連れていってくれました。
医学部に行きたい気持ちもありましたが、部活や楽しさに引き込まれて、夢中でやりたいことをやっていました。

高校3年生の春頃から、家族のことを考える日々が続きました。それは、私の妹の話しです。「男になりたい」という妹と、世間では女子は女子トイレに行かなければいけないという考えでした。しかし、私の妹は、女子トイレに行くことも苦痛になります。そんな妹と、よく話しをしました。夜中にクッキーを2人で作っていました。
「将来、どうしたらいいと思う?」

この投げかけに、「私は、好きなことをやったらいいと思うよ。」
「そっかー。好きなこともないしな。」ポツリと言う妹。
この頃から、妹は自己矛盾を抱え始め、リストカットを始めます。首や膝のカットを始め、家の壁には血がついている壁もありました。夜に自分の部屋でリストカットをしているのではないか、という私自身の恐怖心や、なぜ助けることができないのかを自問自答し始めました。

私は「おはよう」と妹に声をかけようとして、後ろを振り返った瞬間、首や手首がボロボロになるまで、カットしていました。朝からゾンビを見ているようで、ゾッとしました。

母も父もこの頃から小さいズレが生じ始めます。父は仕事で朝早く出て、夜遅く帰ってくるという生活でした。
週末には、必ず外食をしていましたが、雰囲気はあまりよくありませんでした。


妹は夜、徘徊をし始めます。そして、妹は高校を中退し、定時制の高校に、自分で働きながら通っていました。


友達も、妹の悩みに共感し、似たような夜に徘徊をする友達と付き合うようになりました。夜中、隣の部屋から爆音で音楽が聞こえます。「うるさい!いい加減にして!」母は叱りましたが、その夜から妹は家を出て行きました。
高校3年生の冬のことです。家族のことで精神的にも安定しなく、机に座っていても、涙がボロボロ出てきます。

「なぜ、私の家族は崩壊していくのか?」と悩みました。


とても勉強に集中はできません。受験なんて、今の私にはどっちでも良い。ただ、安心して家に帰りたいと、何も考えずに寝たいと思っていました。
当然、センター試験は惨敗です。理系でしたが、得点は全体の3割程度でした。他の家族が羨ましく思いました。
安心して、受験ができる環境、お弁当を毎日作ってくれる環境。とても羨ましく思いました。

私のこの経験は、今思えば、この後悔を取り戻したくてやっているような気がします。辛かった過去の経験から、もう失敗はしない。進路に迷う子供たちを救いたいとの思いで、授業に価値をおく予備校の先生になろうと思いました。

つらかった失敗の経験。今は、悩みを抱える多くの高校生の相談にもパワーを与えることができるようになりました。

妹に感謝です。