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ただただ「違う」というだけ

きのうは久しぶりに
姉たち(わたしは三人姉妹の末っ子)の家族と集まった。


子どもたちはみんな大きくなったけれど
いとこ同士仲良く遊び、

姉たちとわたしは、お茶やお菓子を囲んでだらだらと昔話やこどもたちの話をするのが定番で、今年もそんな楽しい時間を過ごせた。


わたしは小さいときから、親との関係性においてずいぶんとモヤモヤや葛藤を抱えてきたと思ってるので、

姉たちは、なんというか、
同じ環境(家)でサバイバルしてきた仲間=戦友みたいな感じで笑


姉たちがいてほんとうによかったと思ってるし、
いまもとても仲が良い


とはいえ、


同じ家で同じ親のもと育ったわたしたちも

親からの関心の度合いも、
受けとった愛情のかたちも違って

(末っ子というとかわいがられたでしょうと昔からよく言われたけれど我が家の場合はまったくそんなことなかったからなあ ほんとうに、、)


そんないろいろで

背負ってきたものも
抱えて生きてきたものも違うし、

タイプも、選んできた道も違う。



でもその違いは、

ただただ『違い』であって
『差』と思ってこなかったのは、

お互いの、それぞれの痛みをよく知っているからなんだろうな。



そんなことを考えながら思ったのは、


これまでの人生を振り返ると

人と比べ、人との差に
落ち込んできたこともあったけど、


よく知らないから、『差』に感じて
よく知らないから、ただただうらやましく思えて
よく知らないから、自分ばっかりって落ち込んだりしてきてしまったこともあったんだろうなぁと。



なんの曇りもなく
眩しくみえていた人にも

あのころのわたしにはみえていない痛みがあり、
抱えていたものがあったのかもしれないし、


そもそもその感じ方・捉え方もまた
ひとそれぞれで、

みんなそれぞれに葛藤があるんだよね、たぶん。


ということで、

環境とか、今いま持っているもの、とか
みんな違うけど、

目に見えるものは『違い』であって

『差』と思わなくていい

それぞれの背景に思いを寄せたりしつつ、
そう決めたほうが、こころ穏やかだよね、


と改めて思ってた。




その「違い」がゆえに

目指すところに向かうにも
アプローチが違うこともあるかもしれない
かかる時間が違うこともあるかもしれない



でもそれは

ただただ「違う」というだけで、

それぞれの持ち場で
それぞれの今の立ち位置で、

やるべきことを淡々とやり、
進んでいく

ただそれだけなのだ。





と、新年、noteはじめの今日も
いつもと変わらない日々の気づきや思考を
つづったnoteとなりましたが、

2022年も宜しくお願いいたします!^^

***

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