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心配の正体 親としてできること

この春、娘たちふたりが
それぞれ中学・高校に入学し、
新しい学校生活をスタートさせている。
  

それぞれ期待と不安が入り混じった顔で
新しい制服に身を包み、
入学式を迎えたのが先週^^

 
いよいよ今週から本格的に
新しい日常が始まった。 


親としては、

そんな彼女たちが
新しい環境で、
元気に、楽しい毎日を送れることを
願うばかりなのだけど、、

やっぱりそれなりに心配もしている。


それぞれ
仲の良い友だちができるといいな。
元気に過ごせているといいな、と
思いを巡らせては、


帰ってきてから楽しそうに
学校のことを話す様子に安心する
という日々を送っているのだけど、  


どちらかいうと次女に対して
心配の気持ちが強いことに気づく。


長女については、
「なんだかんだ、まあだいじょうぶでしょう」
と思えているのだけど、
次女についてはそうはいかない。

どうしてなんだろう。
 

下の子あるあるの
下の子いつまでも小さいと思ってしまう現象wが
少なからず発動してしまっているのは否めないのだけど(もう中学生なのに!!)

わたしは次女について

 
素直だけど器用ではなくて

同級生に比べ少し幼くも感じるところがあるし

まっすぐだと思うぶん、傷つきやすい
  

と思ってるんだな。


そんな彼女が、
長女が中学生だったときのように
楽しめるのだろうか、


なんて心配している自分に気づいた。

そもそも長女を基準に考える必要なんて
ないのにね。


こうやって書いてみると
心配していたことも

「いやいや、だいじょうぶでしょう」

と思えてくる不思議w 



やっぱり書き出すっていいですよね。


 *

 そういえば、

この前、
親子で仲良くしている
娘の大切なお友だちのママが、

彼女の娘ちゃんについて話してたのを
ふと思い出した。 
 

「最近ね、おとなしいと思ってたあの子の
予想外に活発な様子な場面に出くわして、
こうきたか!!と思うことが何回かあって。 


そのたび新しい一面だと思って
軽く驚くんだけどね。


でももしかしたら、これまでわたしが

この子はこうだから、とか、
こういうの苦手だよね、って
思っていただけで、

前からそうではなかったのかもしれない。


そう見て、そう決めて、
わたしがそうさせてきちゃったのかもしれない、
って思ったりするんだよね」って。


それを思い出しながら
わたしもそうだったのかも、

と思えてきた。


わたしは
わたしの目にうつっている

「わたしがみたいようにみているのかも
しれない彼女の姿」を思い、

心配しているのかもしれない。

それもわたしの「だいじょうぶの基準」を
勝手にあてはめて。

 

そう気づいたら

自分の中に芽生えていた「心配」の固まりが、
ずいぶんと身勝手なものに思えてきた。


だから、その固まりは
包んでそっと横に置いておこうと思う^^

わたしにできること、すべきことは、
だいじょうぶ、と信じて見守ること 

といっても、
だいじょうぶを押し付けることが
ないようにね。

  

彼女の中に不安や心配が生まれたときに
安心に変えられるように

折れそうになるときに支えられるように。 


寄り添い、注意深く見守りながら、
信じて応援していけたらいいんだよね。


***

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