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「強引と謙虚」というプロセス(Advent Calender冬_2023)

新しいチャレンジ

今年の7月に note の投稿をスタートして、早5ヶ月が経ちました。もうすぐ半年です。コーチングとの出会いがきっかけとなって、自己開示のツールとして始めたことでした。つまり、私自身のことを書き続けてきました。

この投稿は、私がコーチングの学びを受けている THE COACH Academy の先輩方が企画してくださった「コーチたちのアドベントカレンダー 2023冬」に参画して書くものです。私にとっては、今まで書いてきた note とは違う、新しいチャレンジです。




テーマを贈り合う

今回のアドベントカレンダーは、とある仕掛けがなされていました。「あなたが思う、正反対」のワードを贈り合い、受け取ったワードをテーマに note を書くという仕掛けです。

まず、正反対だと思うワードを考えることがとても刺激になりました。誰に届くか分からないけれど、どのように受け取ってくださるのか楽しみでもあり、不安でもありました。


(ちなみに、この投稿を書いている時点で既に、私が贈ったワードをテーマにした投稿がなされていました。それは私には思いがけない形による投稿で、そして、ワードを受け取ってくださったことに感謝の気持ちでいっぱいになりました。)



そして、私が受け取ったワードは、こちらです。

 「コウモリと金魚、強引と謙虚」

この言葉たちが目に入ってきた瞬間、間違いなく、頭が混乱でフリーズしました。え? コウモリと金魚と強引と謙虚? これが正反対のワードなの? どういうこと? え?

もちろん、私は2つのテーマを頂いたのです。

「コウモリと金魚」と「強引と謙虚」の2つです。(・・・ですよね? ) これは、なかなかに手強いぞと思いました。「強引と謙虚」は分からないでもないけど、「コウモリと金魚」ってどういうことだろうか? 何をもって正反対なのだろうか? いやいや、「強引と謙虚」だって、よく考えると、考えれば考えるほど、何がどう正反対なのか分からなくなるぞ。 何をどう書けばいいのだろうか?

・・・これが、テーマを贈り合うということなんですね。この、頭に混乱とフリーズを引き起こすことが、きっと狙いなんですね。

私自身のことを思いつくままにつらつら書くのではなく、誰かから頂いたテーマを元に何かを書くということは、例えば、安直に言うと、コーチングのようです。コーチからの問いに、クライアントが何か気づきを得る、というような。プロセスが同じです。

テーマに翻弄される

私はあらためて、頂いたテーマと対峙しました。

 「コウモリと金魚、強引と謙虚」

実はこのテーマを頂いたときに、「テーマが二組以上贈られた場合、どちらか一組を選んでいただくも、両方お使いいただくもどちらでも大丈夫です!」という言葉も添えられていました。

ああ、よかった。いったん「コウモリと金魚」は、諦めようと思いました。

実のところ、私にはちっとも、何が正反対なのか分からなかったからです。「コウモリと金魚」というワードは、それこそ独創的な、詩的な、物語的な、何かがある・・・と思わせる組み合わせです。でも、私には何が正反対なのか理解しようとすればするほど、理解できなかったのです。

さあ、「コウモリと金魚」はいったん手放して、「強引と謙虚」に向き合おう。それこそ、謙虚になって。「強引と謙虚」であれば、きっと何か書くことができるはず。なんか、「それらしい」組み合わせだもの。

そして、私はテーマを頂いた日からずっと、頭のなかで、「強引と謙虚、強引と謙虚、強引と謙虚、コウモリと金魚、強引と謙虚、強引と謙虚、コウモリと金魚、強引と謙虚、、、(以下、永遠と続くので省略)」とマンダラのように唱えてきました。

手放したはずの「コウモリと金魚」も、なぜか時折混じってきました。結局、初めに目に入ってきたこの言葉たちが、私の頭のなかに、または心のなかに、テーマとして留まり続けました。

 「コウモリと金魚、強引と謙虚」

ついには、「ああ! こうもりときんぎょ、と、ごういんとけんきょ、って似てるってことね。韻を踏んでるのね。」と、しょうもないことを思ったりしました。

言葉遊びなのか、これは? やはり、2つのテーマではなく、1つのテーマだったのか? 「意味を成さないような言葉の組み合わせと、意味を成すような言葉の組み合わせ、という正反対」という意味だったのかしら。それこそ、強引に考えれば、そうとも考えられる。

頭のなかが混乱の極みとなったので、いったん全てを手放すことにしました。まだ、時間はある。大丈夫。少し距離を置いてみよう。

「コウモリと金魚」に救われる

そしてしばらくして、私は、頭のなかから離れなかった「コウモリ」と「金魚」のそれぞれをテーマにして、私自身のことを書くことにしました。原点に戻ろうと思ったのです。私の note は、いつも私自身のことを書いていました。

2つの note が書き上がりました。読んだ後の余韻がまったく違う(と思われる)仕上がりになったので、敢えて2つに分けて投稿しました。



テーマをバラバラにしたので、「コウモリと金魚」はあくまで手放したものとして、勝手に、「Advent Calender冬_2023 スピンオフ」とすることにしました。

やれやれ、とりあえず「スピンオフ」ではあるものの、2つ書き上がりました。結局、手放したはずの「コウモリと金魚」で書いてしまったけど、ほっとしました。このテーマに救われたのです。

再び、「強引と謙虚」

さて、今度こそ「強引と謙虚」と向き合おう。そして、原点に戻ろう。私の note は、いつも私自身のことを書いてきたんだ。

強引
抵抗や反対を押し切って無理に物事を行うこと。

謙虚

控え目で、つつましいこと。
へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。

デジタル大辞泉 小学館

そうして、今ここに書き出せることは、私はもうこれ以上書くことはないな、ということです。そして、このアドベントカレンダーの note を書くプロセスこそが、強引であり、謙虚であったな、ということです。

もうここまで、たっぷり書き進めました。私自身にとって新しいチャレンジであったアドベントカレンダーをどう書くか、という話でかなり字数を稼ぎましたね。ある意味、「強引」でした。

そして、ここまで書き進めたことを振り返ってみると、筆が勢いよく進んだのはいつだって、「謙虚」な心持ちになったときでした。「コウモリ」と「金魚」を主題とした思い出は、まさにそうした心持ちで書いたものです。

正反対のワードとして贈ってくださった「強引と謙虚」が、この note を書き進めるプロセスを表す言葉でした。

最後に

そしてね、ここまで書いてみて、私の頭のなかを締めていることは、「コウモリと金魚、強引と謙虚」って、2つではなくて、やはり1つのテーマだったのではないかということです。もうね、今でも「こうもりときんぎょ、ごういんとけんきょ」というフレーズが私の頭のなかから離れないのです。

いや、むしろ、「コウモリと金魚」が1つのテーマだとして、このワードたちが正反対であるという物語を聞かせてほしい。是非とも。

ああ、このテーマを贈ってくださった方、私の頭を混乱の極みに陥れた方、是非お話をお聞かせください。





というわけで、今回の投稿は「Advent Calender冬_2023」に参画して書いた note でした。やれやれ、どうにか、こうにか、投稿できそう。


素晴らしい機会を頂き、まーさん、りみさん、本当にありがとうございました。昨年からずっと憧れていたお二人の企画に参加することができたことが、今年の私の大きな飛躍だったなと感じています。


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