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【ROOTS】というセルフデザインプログラムに参加して良かった!どんなことが良かったか?という話


コーチングを学んで知ったことと、ROOTSとの出会い



私は今までの投稿でも度々言及しているように、昨年2022年4月からコーチングを学び始めました。コーチングとは何か云々という話は置いておいて、ここではコーチングを学んで知ったことを書き残しておきます。

それは、自分自身と向き合うには、自分ではない誰かの存在が有効である、ということです。

自分自身と向き合うって?とか、自分ではない誰かの存在って?とか、その効果は?とか、有効ってどのように?とか、そのあたりの云々という話はまた置いておいて、別の機会に語りたいと思います。

でも、もう一度書いておくけど、自分自身と向き合うには、自分ではない誰かの存在が有効である、と実感して、私はその「自分ではない誰か」を探し求めました。コーチングとの出会いや会社を退職するなど、ちょっとした人生の転換イベントが続いていた私は、これからのために自分自身と向き合いたいと思ったからです。

そこで出会ったのが「ROOTS」でした。

この募集内容を見ただけでも「いいな!」と思いましたが、先に受講を決めて誘ってくれた仲間や、「きっと受講するといいよ!」と力強く推薦してくれた声に背中を押され、受講を決めました。



そして、ROOTS 良かったです!!! こう、何が、どう、良かったのかということを、ここに言葉に残しておきたいと思います。




対面の良さを感じた


コロナ禍の副産物として、ウェビナーやオンラインスクールが一般化しました。私もコーチングはオンラインで学びました。どこかに通うことをしなくても、オンラインで十分なのだという実感もありました。

ROOTS のプログラムは、対面コースとオンラインコースがありました。私はたまたま通うことが可能だったため、対面コースを選びました。もし、開催地が通えない場所だったら、オンラインコースででも受講したと思います。

対面で、複数人で集って、何かを学ぶ、場を共有する、みたいな機会は、私にとってはとても久しぶりのものでした。コロナ禍のせいだけじゃないです。仕事が絡んだ機会を除くと、本当に久しぶりでした。

そこで感じたのは、対面の良さでした。

プロコーチ3人が創り出す場
ROOTS のファシリテーターである、さよさんぐっちさんたおちゃんという、もうお一人単体(?)でもアイドルみたいに人を魅了するパワーを持っているプロコーチたちが、3人がかりで私たち参加者を迎えてくれるのです。優しく力強く私たちを見守ってくれるのです。大きなハンモックに包まれたような、お母さんカンガルーのおなかの中にいるような、幼稚園の園庭にいるような、安心・安全・楽しい場がそこにはありました。3人が私たちをフォローしてくれるだけでなく、それぞれお互いをそっとフォローし合っている様子も素敵でした。

参加者同士が共鳴する場
対面コースには私以外に4人の参加者仲間がいました。仲間がいるということは心強いことです。たまたま全員が女性で、コーチングを学んでいる、または受けているという共通点はあったものの、それぞれの背景はバラバラでした。それが良かった。お互いの発言を聞き合い、対話をし合い、宿題に取り組み、刺激を与え合いました。

ここまで書いてみると、オンラインでも同じような場創りは可能であるんだと気づきます。私はどこに、何に、対面の良さを感じたのでしょうか。決してオンラインコースを否定するのではなく、でも、付け加えるとしたら、対面の場には「境い目がない」という良さがありました。

「境い目がない」とは、たとえば、受講前や休憩の時間も私たちは同じ空間にいました。それぞれが挨拶し合ったり、ちょっとした雑談をしたりしていました。会場の準備や片付けも、僅かですが一緒に手伝いました。ファシリテーターの3人と受講生の5人が一緒くたになって動きました。そういう余白の時間を共にすることで、お互いにぐっと親近感が湧き、一緒に過ごした4日間のプログラムがより充実したものになったのではないかと感じています。


過去の未完了を丁寧に振り返る


ROOTS のプログラム内容は、上記にリンクを貼った note を是非ご覧いただきたいし、ひとつひとつの仕掛けがすべて良かったのですが、敢えてここにひとつだけ話したいことを挙げてみるとすれば、「ルーツを思い出す」ことでした。

先にも書いたように私は「これからのために」自分自身と向き合いたくて、ROOTS への参加を決めました。ROOTS の note の冒頭にも「自分で人生の舵を取っていきたい方にむけて」とあります。「私はこれからどこへどう向かうのか」ということを導き出すことが、ROOTS  への参加の目的でした。

未来を見るために、過去を振り返ったことがとても効果的でした。

私たちは子どもの頃になりたかった職業や夢を披露し合いました。私なんか、今ではもうすっかり忘れてしまっていたことです。なんと「アナウンサーか、外科医か、水泳選手」になりたかったのです。どれも現在の私には掠っていません。でも、あきらめたのではなく形を変えて、まだ私の中に残っていることに気づきました。

子どもの頃のエピソードをインタビュー形式で参加者同士で聞き合いました。そこにも、忘れかけていたようなエピソードが登場してきました。実際、忘れてはなかったのです。楽しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、その時の感情も蘇ってきました。

過去を振り返ると「これがよかった」「これができた」「これが楽しかった」というようなエピソードより、「これが悲しかった」「これができなかった」「これが辛かった」という、いわば負のエピソードの方が強く蘇ってくるのは興味深いですね。

それらの負のエピソードは、できなかったこと、あきらめたこと、未完了のこと、という「ラベル」を貼られて私たちの中に残っていました。でも、ROOTS において、それらの負のエピソードを丁寧に取り出して眺め直してみたことで、「ラベル」の付け替えを行ったような効果がありました。

どんなラベル名に付け替えたかは、それぞれのエピソードによると思います。でも、今の私に繋がる可能性や要素を表現するようなラベル名です。

過去の未完了を丁寧に振り返ったことで、私たちは自分がなにかを「生き抜いてきた」ような、「生き延びてきた」ような、サバイバーのような気持ちにもなりました。それは、今の自分の存在を肯定することにも繋がったな、と感じます。


オラクルカードを活用する


ファシリテーターのなかに、オラクルカードリーディングをするたおちゃんがいらしたことは、ROOTS が他のワークショップと異なる差別化要素だと思います。

オラクルカードとは「オラクル(oracle)=神託、大きな存在の言葉」を受け取るためのカード

wikipedeaより


ROOTS ではチェックインやワークの際に、オラクルカードを活用する場面がありました。手順としては、ランダムに置かれたカードを、私たち参加者はそれぞれ任意で選び出し、そのカードに書かれている言葉を受け取るのです。こう、手順を書くとなんだか味気ないというか、信頼感に欠けるというか、うさん臭い占いのような感じがしてしまいますね。

でも、たおちゃんをはじめファシリテーターの3人がしっかりと安心・安全・楽しい場を創り出してくれた中だと、私たち参加者は自然と直観や感性を発揮し易くなるのです。


ROOT2 のチェックインで引いたカード


たとえば、上の写真は2回目の ROOTS チェックインで私が引いたカードです。この謎の絵柄から感じたこと、受け取ったこと、解釈したことなどを、自分なりにその日の「意図」としていくという仕掛けがありました。

私は、絵柄の中にいた「ハチ」に惹かれました。引いた人によって「手」や「バッファロー」や「PRAYER ANSWERED」という言葉に惹かれたかもしれません。でも、私は「ハチ」に惹かれました。その日いちにち私の頭のなかではハチがブンブン飛び交っていました。・・・というわけではないけど、その日のワークでは知らずハチのイメージに助けられました。


ROOT3 で引いたカードたち


3回目の ROOTS ではワークで複数のカードを引きました。その日の X (Twitterね)で私は、「今日引いたカード達、私のことよく知っている。不思議」と書いています。特にタイプライターの絵柄のカードは、参加者仲間に「ワカナさんらしい!」と声を掛けられるくらいでした。そういう承認の声を貰えると、このカードを引いたことが間違っていなかったという気持ちになりますね。

ROOT3 で引いたカードたちの絵柄は、今もちゃんと私の中にイメージが残っていて、時折思い出します。そして、私がこれからのために自分自身と向き合う手助けをしてくれます。

この note の冒頭で私は、自分自身と向き合うには、自分ではない誰かの存在が有効である、と書きました。自分ではない誰かの存在って、カードでもいいのだと実感しました。

黄色いスケッチブックが宝物になる


ROOT 1回目のときに、黄色いスケッチブックがそれぞれ手渡されました。そして毎回ワークで使うシートも配布され、スケッチブックにどんどん貼っていきました。対面コースでは、可愛いマスキングテープやシールが大量に用意されていて、それを使って貼っていく時間がまた楽しかった。


相棒だった


ワークの度に、このスケッチブックの中にどんどんアウトプットしていきました。アウトプットするっていいですよね。いいのは分かっているけど、自らどんどんしていくことって実はあまりしない。でも、こういうふうにお膳立てがあるとどんどんできる。


ライフラインチャート書いた


自分自身に宛てて


みんなから


今もこの黄色いスケッチブックが手元にあります。一枚一枚ページをめくっていると、自分が書き込んだ言葉がそこにあります。書き込んだその時は心を込めて渾身の力でアウトプットしたのに、今となっては意外にも忘れてしまっている言葉たちもあって、それがまた面白いです。

参加者仲間が書き込んでくれたページもあります。みんなからいただいたメッセージも貼り付けられています。どのページを見ても楽しい。

ROOTS の旅路を終えて、相棒だった黄色いスケッチブックは宝物になりました。




さて、そろそろこの note も書き終えていきたいと思います。でも、どう纏めて閉じていけばいいか迷っています。

実は、私はまだ ROOTS の宿題が残っているのです。1日目に出された宿題がね、やらず仕舞いなのでした。もともと、夏休みの宿題は8月の終わりにするタイプだったりするのですが、今回の宿題は ROOTS 受講中に終えることができませんでした。これからやります。

ふと、参加者仲間で言い交わした言葉がよみがえってきます。「私たちって自分をあきらめていない!」「私あきらめてないじゃん!」という言葉です。「あきらめ」は ROOTS の中で扱うとても重要なキーワードです。

ぐっちさんが ROOTS に関連して始められた「あきらめラジオ」を聴いていると、人が「あきらめ」と向き合うと、思いもよらない何かが湧いてくるんだなと気づきます。その人その人によってまったく異なる何かです。

私にとっては「あきらめてないじゃん!」という強い気持ちでした。その気持ちをもってこれからを歩んでいくし、繰り返しになりますが、宿題はこれからやります。




最後に、冒頭に貼った「雲」の写真の紹介をします。これは私がその昔、カナダ プリンスエドワード島で撮影した空です。眩しい太陽と、空にぷかぷか浮かぶ「雲」が印象的でした。

この光景は、4回目の ROOTS で行ったビジュアライゼーションのワークで私が見たイメージに限りなく近いものです。私はこの雲の上を軽やかにぴょんぴょんと進んでいきました。

そして最後のチェックアウトでこんなことを宣言しました。「ROOTSという名の過去を見つめるところからスタートした。そして、今はそのROOTSを引っこ抜いて軽やかに進んでいきたい気持ちがある」と。

ROOTS 受講後に設けてくださった「対話の日」でも改めて、ありたい自分を言葉にしました。その中で私は「旅人」というキーワードを口にしていました。雲の上を軽やかに進む「旅人」になりたいんだと、その言葉を口にして改めて、自分の願いに気づきました。




本当に最後に、ROOTS のファシリテーターである、さよさんぐっちさんたおちゃんと、そして一緒に参加した仲間たちに大感謝です。ROOTS に参加してみてシンプルに「良かった!!!」と表現できる存在です。ありがとうございました!!!

そして、ROOTS 一期生としては、これからどんどん仲間が増えていくことを心から祈っています。


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