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【12】 無意識の判断(アティテュード)

私たちは、日々、たくさんの判断(judgment)をしています。

食後の飲み物はコーヒーにするか、紅茶にするか。
電車で席を譲ろうとしたときに声をかけるか、かけないか。
誘われた飲み会に行くか、行かないか。
気になった服を買うか、買わないか
大きな仕事を頼まれたときに引き受けるか、引き受けないか。

判断の内容は些細なことから人生を大きく左右するものまで様々ですが、それらの判断の積み重ねが人生を決めていきます。

そして、その判断を左右しているのが、無意識の判断(アティテュード: attitude)です。

私たちは過去の記憶に照らし合わせて無意識の判断をし、それに影響を受けて意識的な判断を下しています。

その際に参照される記憶が、情動記憶です。

たとえば、小学校の時に同級生の前でスピーチをし、何か失敗をしてしまいバカにされたとします。そのときの場面は、恥ずかしいという強い感情を伴った情動記憶として残る可能性が高いでしょう。

その人が大人になった時に人前でのスピーチを頼まれたとしたら、何が起こるでしょうか?

その人のマインドでは、小学生のときの「スピーチで恥をかいた」という情動記憶を参照し、その機会を避けようとする無意識の判断が生じます。

そして、「今は忙しいから」といった言い訳をして、そのスピーチの依頼を断るでしょう。本人の意識では「なぜか、気が進まない」ということが起こります。

無意識の判断は、その名の通り無意識であり、自動的な処理です。
そのため、なぜ自分はそのような判断をしたのか、という根本的な原因にはほとんど気づきません。

もちろん、ポジティブな情動記憶にもとづく無意識の判断もあります。たとえば、小さい頃に手紙を書いて渡したら、とても喜ばれたという経験をしたとします。その経験は、嬉しい、幸せな気持ちを伴った情動記憶となるでしょう。

そのような情動記憶を持っている人は、何か手紙を書くような機会があるときは、積極的に手紙を書いて渡すでしょう。メールで済ませてもいいような場合でも、手紙を書くことを選択しているかもしれません。

これも、手紙にまつわる情動記憶を参照し、その情動記憶に基づいて、無意識の判断をしているのです。

他の人には面倒に感じることでも、その人にとっては「気づいたらやってしまっている」ことになります。

私たちは日々の生活のなかで、情動記憶にもとづいた無意識の判断(アティテュード)を繰り返しています

そして、その多くの無意識の判断に、私たちは無自覚です。

その無意識の判断が、私たちを現状に閉じ込めている要因の一つでもあるのです。

ワーク
日常生活で選択をする際、いつも選んでいる選択肢はありますか?
たとえば、飲食店であれば、料理のサイズ、飲み物はホットかアイスか、食後はコーヒーか紅茶か、などなど
その選択肢をなぜ選んでいますか?
理由も考えてみてください。

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