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書いてみてわかる、「誰か」を通して観る嫌な部分は自分のなかにもあること。

先日、久しぶりに、
夫とのやりとりでイライラすることがありまして。笑

客観的にみれば、ほんの些細なこと。

…なんだけど、
その時の自分の心の状態しだいでは
どうしても譲れない!って思うことも
つい反応しちゃった!
なんてこともありますよね。

きっと。

(…と書きながらも、コミュニケーションを学んできたとしても、こうやってワナワナと感情が揺さぶられることがあって、そんな相手がいるっていうことは、ある意味すごいな。なんて思ったりもするのですよね。笑。日々精進で、終わりはないですね^^)


以前は、感情がおおきく揺さぶられたとき、

” 自分が感じたことを言葉にするなんて考えられない! " 

と潜在的にずっと思っていたのだけれど、

いったん頭の外に出してあげると、
今まで見えなかった視点が見えてきて
自分も癒してあげられ
相手のことももっと知れる

ということを知ってから、

罪悪感を持たず、
ノートに書き綴るようにしています。

(ノートだとしても「感じたままの感情を書き出すなんて良くないことだ!」と、以前は思っていたのですよね)

そんな変化をnoteに以前書いたのがこちら。

今回もノートにつらつらと書き綴りながら、

「書く」ことで
思考を整理したり
物事からちょっと離れて、観る時間を
過ごせている
んだな

と、ひしひしと感じています。

「誰か」を通して観る、自分の嫌な部分


「こういうところが嫌だったの!」とか
感じたことを思いのままに書き綴って
ひといきついたとき、

書いたものを読み返しながら
ちょっと笑ってしまったんですよね。

なぜなら、

「あれ。。なんか、私もこういうところあるなぁ」

と思ったから。(苦笑)

むしろ、

自分のなかの嫌な部分を無意識にも知っていて、
そこをみているからこそ
人の中にも同じ共通点を発見しやすかったり、

発見したときには
嫌悪感というか
反発したくなるような気持ちや
摘発したくなるような気持ちに
なったりするものなんだなぁ、と。

なるほど。

ということは、

きっかけは
些細な夫の態度や行動だったかもしれないけれど、

自分のことを棚に上げて
夫に対して感情的になっていた
ということで、

実は実は、

” (同じ要素を持っている) 自分にイライラしてた! " 

なーんて面も見えてきます。

これが分かったからといって
だからどうこうというわけではないのだけれど、

「あぁ、そうだったんだなぁ。」

って気づくだけで、
感情的になっていた気持ちが
自分からふわ~っと離れていく感覚があったりします。

あとは、

夫に対して
「こうしてもらいたい!」とか
「分からせたい!」みたいに思っていたことについても、

「次、同じようなことがあったら、私はこうしようかな」

「私もこういうところ伸びしろあるから、次はこれ試してみよう」

なんて思えたりして。不思議です。笑

別に、いい人間になろうと思っているわけでもなく
義務感や正義感からでもないのだけれど、

変えられない他人を
変えよう!とか、分からせよう!と
躍起になる気持ちがあるときは、

コントロールできないものをコントロールしようとして
ワナワナ煮えたぎっていることが
きっと多いから、笑

いますぐ変えられる「自分」にフォーカスすると
感情を行動に落とせる。

だから、次、何をすれば解消できるだろう?が
体感として分かってくるんですよね。

ここまで感情を昇華できたら
きっと軽やかにStepを踏めていくから、
だから感情的だった気持ちもスーッと消えていく。

こういうことなのかな、と。


ぐるぐると思考だけが頭の中をループしてたら
気付けなかったこんなことにも気づけるなんて、
やっぱり「書く力」ってすごいですね^^


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