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未来は過去の延長線上にない!

未来は、過去の延長線上にはない。

現在も次の瞬間には過去になるので、過去には現在も含んでいるとしよう。

さて、みなさんは、どう思うだろうか?

「未来は、過去の延長線上にある」と言い切ってしまうのは、さすがに未来の可能性を狭めすぎている感じがすると、反対してくれる人が結構いると思う。

でも、普段、次の例のように「過去があるから今がある」と考えることが多いのではないだろうか?

  • 受験のために頑張って勉強したから、世間一般が認めるいい大学に入学できた。

  • いい大学に行って、それなりに勉強もして、エントリーシートに書けそうなインパクトのある活動をしていたから、希望の会社に就職ができた。

  • 入社してからずっと残業も厭わず、辛い仕事を頑張って取り組み、実績を上げたから課長になれた。

なんとなく過去が未来を作っているように聞こえる。

でもこの表現には、他のあり得た可能性については何も語られていない。

例えば、上に挙げた例について一つひとつ点検してみると、

  • 「いい大学」ではなく、高校生の時に特に興味のあった国際関係について専門性の高い大学へ行けたかもしれない。

  • 単に「給料が高い会社」を希望するなら良いだろう。でも、「世界の水問題を解決したい」と学生時代に目覚めていれば、全く違う会社を希望しただろう。学生時代の活動も、水に関するものになっていたかも知れない。

  • 辛い仕事をした結果ではなく、課長になる査定基準を満たしたから課長になったのである。もっとやりたい仕事を楽しくやっていれば、パフォーマンスもより高くて、もっと早く課長になれたり、飛び級で昇進できたかもしれない。

要するに、「今」の状態を良しとして、「今」を基準に過去を振り返って、後付けで「今」を説明できそうな要素を抜き出しているだけである。(逆に「今」を好ましくない状態としても、考え方は同じだ。)

もっといい「今」があったかもしれないことは触れられていない。

では「過去のある時点で別の未来を描いていたら、今とは違う姿になっていただろう」という話をよく聞くが、これはどうだろう?

もし「別の未来を描いていたら」と今考えてみたら、今の自分を後悔するだろうか。

私はきっと後悔はしないと思う。なぜなら、過去のその時点で最善の選択をして来たと思うから。

それはそうだろう。今は経験も知識も増えたおかげで、より良い選択肢や可能性が見えるようになっているのだ。過去のその時には、到底想像もつかなかったのだから選択しようもない。

それに今なら別の選択肢が見えるのであれば、これからそれを目指せばいいと思う。

結局のところ、未来を描くから、そこに向かって行くということなのだ。

選択肢がいくつかある中で、過去に一つを選んだ場合も、その時点でその選択肢が未来に一番良い結果を得ると描けたからそれを選んだはずである。

だから、まず先に行きたい未来を描くことが大切だ。

はっきりとは見えなくても、何かあっちの方にありそうだとそこへ行きたくなったら、その気持ちに正直になることだ。

そう、やりたいという気持ちは尊重しないといけない。

まず未来を自由に描いて心からやりたいことが見つかったら、それがどんなにちっぽけなことでも、大事な一歩だと認識しよう。

最初はどんなに小さなことに見えても、興味の赴くままにどんどん進んでいけば、もっと大きな具体的な思考の構造物として、目標やコーチングでいうところのゴールが立ち現れてくるかも知れないのだから。


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