「しなければ」を徹底的に排除する
自分の人生の主導権を握れていますか?
自分の人生を楽しく幸せなものにしていくには、何よりも自分の人生の主導権を自分で握っておく必要があります。
「そんなこと、あたり前だろ?」
と思うかも知れませんが、あたり前だと言うのと、実際にそれが出来ていると言うのは別の話。
もし、あなたが日々の生活の中で、「しなければならない」とたくさん感じているなら、それは人生の主導権を握れていない証拠です。
やりたくないのに、なぜやるの?
「しなければならない」と感じているということは、あなたは実際には「やりたくない」と思っていると言うこと。やりたくなければ、やらなければよいのに、なぜ自分の気持ちに反して苦痛を感じながらやろうとするのでしょうか?
多分、あなたは「やらなければ、叱られる」「やらなければ、大変な事になる。きっと罰せられるだろう。」などと、やらない場合に起こるネガティブな事態、すなわち「さもなければ、〇〇」を恐れているのでしょう。
要するに、恐怖に支配されているわけです。恐怖に支配された結果、本当は他にやりたいと思っている事があっても、それを脇に置いて、「しなければならない」をやり続けるのです。
このように自分の意に反して、自分の外から要求される事ばかりをやっていたのでは、心から人生を楽しむことは絶対にできません。
だから、毎日の生活の中から「しなければならない」は、徹底的に排除しましょう。
「しなければ」で埋もれる毎日
こういうことを言うと、きっとあなたは「そんなわけにはいかないだろう。実際、やらなければならないことがたくさんあるのだから」と言うかも知れません。
でも、果たしてそうでしょうか?
「もっと寝ていたいのに、早起きしなければならない」
「宿題なんかやりたくないのに、明日提出期限だから今日やらなければならない」
「行きたくない会社に、今日も行かなければならない」
などと毎日「しなければならない」と唱えていないでしょうか?でも実際には、あなたはそうしない選択肢が常にあるのです。それなのにどうして、結局、イヤイヤながらもやり遂げてしまうのでしょうか?
どうせやるのであれば、もっと前向きに「やりたい」と思ってやっていれば、早く完了する上に、もっとよいアウトプットが期待できるはずです。
「しなければ」と「やりたい」を分けるもの
一体、この「しなければならない」と「やりたい」の境目はどこにあるのでしょうか?ここでは、二つの側面から考えてみたいと思います。
ひとつ目は、ゴールです。
ゴールがあると、それを基準にして、いま目の前にあることに取り組むことでゴールに近づ行けるなら「やりたい」気持ちになるでしょう。なぜなら、ゴールとは心からやりたい、もしくは何としてでも達成したいと思うものなので、自分にとって最優先事項であるゴールに近づけるなら、当然、それは「やりたい」ことに分類されるはずだからです。逆に、自分のゴール達成に全く関係がなければ、それに着手することは時間の無駄ですから、当然、それは「やらされていること」「しなければならない」ことです。
二つ目は、あなたのアティテュードです。
アティテュードとは、特定の状況や刺激に対する、あなたの感情的な傾向のことです。過去のある状況のもとで感じた感情が、似たような状況が発生した時に呼び起こされ、その感情があなたが過去の状況に対して取った態度や姿勢を再び引き起こすのです。要するに、過去に反応したように、反応してしまうということです。
次の文を読んで、場面を想像してみてください。
分厚い本を見ると、読む気が無くなる(夏休みの読書感想文がうまく書けず、嫌な思いをした)
満員電車を見るだけで、乗りたくなくなり、気分が塞ぐ(以前に満員電車で気分が悪くなった)
黒塗りの車が前にいると、車間距離を空けてしまう(黒塗りの車の運転手に、大きな声で怒鳴られた)
数字の多い資料は、読み飛ばす(学生時代、数学のテストでいい点数を取ったことがない)
先輩がいると、声が小さくなる(怖い先輩に、いつも使いっ走りにされていた)
次にあなた自身の上記の例と似たような状況を思い浮かべてみてください。では、その時にあなたのマインドの中で、どのようなプロセスが進んでいるのかを確認してみましょう。
例えば、先ほどの例の一番目の「分厚い本見ると、読む気がなくなる」を取り上げます。
あなたは大学生で、学士論文に取り組むために資料として何冊かの本を読まなければなりません。書名を頼りに図書館にその内の一冊を探しに行きました。首尾よく本は見つかったのですが、その本はとても分厚く500ページを超えていました。あなたはその本を手に取ってみて、いかめしい表紙、重量と厚さ、そして、パラパラと本をめくってみた時の字の小ささを手や目で感じとります。
すると、マインドの中では、以前に同じような経験をしたことがあるだろうかと連想します。こんな具合に。
あなたは小学校の時に、読書感想文を書くのが大の苦手でした。5年生の課題図書は文字が小さく、言葉遣いも少し難しく、ページ数も多かったのを覚えています。しかも、内容が面白いと感じず、それゆえ、大した感動もなく、感想文を書くのが苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。そのうえ、先生に提出した後に返ってきたコメントが散々だったので、とても落ち込んだ記憶があります。
そんな記憶に無意識にアクセスして、「またあの時と同じような思いをしたくない!」と目の前の分厚い本から逃げ出したくなるのです。実際に逃げ出すことなく、論文執筆のために最後まで読み切ったとしても、多分、本の内容はあまり頭に残っていないかも知れません。イヤイヤ取り組んだことは、記憶に残り難いのです。
このように、過去の経験に紐づいた情動が、これから起こる事についてのアティテュードを決めています。苦い経験があれば、似たような事態に前向きに、「やりたい」という気持ちで向き合うことが難しくなります。
ただし、ゴールを持つ前には、アティテュードに良い悪いはありません。ゴールを定めると、ゴール達成を基準にして、そのアティテュードがゴールに向かわせるものならポジティブ、遠ざけるものならネガティブとなります。論文を書くまでは、分厚い本に対するアティテュードはポジティブでもネガティブでもないと言うことです。何か達成したいと思うゴールを設定した時に初めて、そのアティテュードの評価が決まると言うことです。
結局、アティテュードに対する評価はゴール次第ということですから、「しなければならない」と「やりたい」の境目は突き詰めればゴールが決めると言うことです。
ということは、人生において現状の外側にある、心から達成したいと思うゴールを設定すれば、あとはゴール達成に対してポジティブなことだけをやっていけば、毎日を「やりたい」ことだけで満たせるということです。
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