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垂直方向の成長と,水平方向の成長,上司に必要な能力とは

ある日の大衆酒場。

隣に座るいくらか歳の離れた友人が,ブツブツと部下の視点の低さを嘆いている。
彼女,自分の担当の仕事はあんなにスイスイできるチカラがあるんだから,もう少し全体が見られるといいのに,そんな話してもぜんぜん伝わらないのはなんでかしら。


彼女はこの9月に初めて上司になった。
まだひと月ちょっとなのに,もういろんな壁にぶつかっていて,そんな話を聞くと新鮮で面白い。

僕とはまったく異なる業種だけれど,上司道はやはり通ずるのか,そのひとつひとつの壁が僕の歩いてきた道に照らしてみても,またなんともノスタルジックで酒の肴にはちょうど良いというか。



実のところ視座の高さは,能力の高さとは必ずしも連動しない。たとえば事務能力に長けたひとの視座がみんな高いかというとそんなことはないし,コミュニケーション能力が低いひとの視座が必ず低いかというとそんなこともない。

もっというと年齢とも直結しないし,役職とも連動しないこともある(凄腕のスーパー営業マンなのに,視座の低い上司にあたるとなかなかヘビーなことになるのだけれど)。


視座の高さは,必要な環境下である時,急に変化するものだから(たまに空から神のお告げのように降りてくる),たとえば仕事であれば,ひとつふたつ上のポストの人間であればどう考え,どう判断するだろうか?のような別の視点を持とうとしない限り,言い換えれば他者の視点(他者の価値観)と自身の視点を俯瞰して眺めようと考えない限り,高くならないものなのだ。


視座の高さがあがると自動的に視野が広くなる。ビルの窓から外を観ることをイメージしてみよう。たとえば,1階の窓から外を観た時,目の前に広がる海が見える。なんてスバラシイオーシャンビュー!この部屋にしてよかったわぁ。

ところが,視座が上がって4階に到達したとき,その窓から外を観ると,それは実は海ではなく湖だった。なんてことはよくある。



人間の成長には2方向あって,それぞれ垂直方向の成長と水平方向の成長というのだそうだけれど,知識やスキルの習得を水平方向の成長といい,こっちはがんばって勉強したり,本を読んだり,講習を受けたりして努力することでどんどん伸ばすことができる。

一方で垂直方向の成長(すなわち視座の高さや視点の高さ)は,高くしようと思っても誰かに教えてもらって修得したり,本を読んで高くするということはできない。

置かれた環境や経験則に基づいて,ある時ふと身についているようなひとの能力の根幹にあるものだ。



しかし他方で視座の高低は,実はそれだけで単純な能力の優劣比較も難しい。高い方が必ずしも良いとは限らない。

先の例で言えば,1階から観た風景を信じるひとにとって,これを他者が「これは海じゃなくて湖なんだよ。」といくら教えたところで,腹落ちさせるのは難しいし,逆に言うとその人にとって海なら(他のひとが言うとおりそれが湖であるという根拠が得られないのなら)それは海なのだろうし,海と考えても差し支えない。

それを湖と知らなくっても活躍できる舞台はいくらでもあるし,それだけで能力が低いとも人生を損しているとも言えない。とにかくボールでゴールネットを揺らすことにだけ特化したFWにとって,司令塔的ポジションが保有しなくてはならない視野の広さは必ずしも「能力の優劣」を測る指標にはならないと考えていいだろう。


反対にひとたび4階からその風景を眺めてしまったひとにとっては,それはもう2度と海には戻らない。1階から海を観たときの感動は一滴だって残らないことになる。海ではないことに気が付いてしまった以上,それを海のように見えて,実は湖であることに知らないふりをすることはできないのだ。

それをもって人生を損しているとも,真実を知る者として知らない者を糾弾することもできない(知らない者にとっては海以外の何物でもなく,説明したり根拠を示してもたぶん腹落ちしてくれないし,そもそも無理矢理他者の真実を変える必要などない)。

マネージャーとして全体に視野が及ぶようになってしまえば,ミクロな視点が持ちづらく,現場勘や細やかなニーズへの対応よりも大枠の戦略やマネジメントに意識を取られ,大事なことを取りこぼすこともある。


具体的に言えば,前者であれば,セールスマンとしては超凄腕だけれど,視点が低く視野が狭いひとが上司になったりすると,とある分野でワンマンプレイさせれば見事な結果を残すけれど,彼らは同じクオリティは他の人には出せないこと(たとえば結果は同じだとしてもそこにいたるプロセスを含め,細部まで同じにすることはできない)や,無数にある異なる手法や価値観を理解はしても腹落ちさせることはできないから,部下になったひとにとっては自分という個を真に認めてもらっている感が得られにくいということはよく聞く話だし,後者であれば,個々の現場作業ひとつひとつやその作業を実際に行うひとたちの気持ちにまで意識が届きにくくマネジメントがうまくいかないこともある。あるいは,全体の成功のためのマネジメントに目を奪われすぎて,マネジメントの対象もまた自分と同じ,喜んだり,傷ついたり,悲しんだりする人間であることを忘れてしまうこともあるだろう。




さて,この垂直方向の成長の話は,そういう難しい構造になっているものだから賛否両論,種々異論はあるだろうが僕個人の結論として,昇進し役職があがった者にとっては必須なのではなかろうかと思っている。2度と海と信じていたときの感動を思い出せなくなったとしても,やむを得ないか。

いやできれば若い人にも高い視点は持ってほしい。大人になっていろんな経験をして新鮮な想いを失ってしまうことと似ていると説明してしまってから申し訳ないのだけれど,高い視点を持ってしまうと,逆に他者の言葉や価値観を受容と拒絶と平等に受け止めるようになってしまうような,良いような悪いようなことになってしまうのだけれど,それでも視座は高く持ってほしい。


なんたって,その方が世界は広がる。
世界は広い方がいい。



そんなことを友人に話しながら,ああ,この話も理解はできてもきっと腹落ちはずっと先のことになるのだろうなと思った。

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