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6月19日は父の命日だ。
父は雨男だったから,葬式も台風みたいな雨の日に執り行われた。

雨男,が因果を説明できているかはわからないけれど,我が家では大事な日に雨が降ると全部父のせいにしていた。
それで,たまに晴れてみれば「やあ珍しいこともあるもんだ」と父をはやし立てた。

2年前の今日も雨だったようだ。
梅雨なのだから,確率も高かろうに。
わざわざ雨を持ち出してはアンニュイな気持ちを演出するのだから,もしかしたらただ感傷的になりたいだけかもしれない。

父が死んだ日,僕は福岡へ出張に行っていた。
それで,急いでついた帰路の途中,いったん家に帰ってから病院に顔を出そうか,いっそ翌日にお見舞いに行こうか迷った末,駅から直接病院に行ってから家に帰ろうと考えた。

ちょうど付き添っていた母が,父の病院から泊まり込みの身支度をするために一度家に戻るタイミングだったから,母と交代するつもりで病院へ足を向けたのだ。

それは僕にとっては唐突だった。

担当医師からはまだしばらくは大丈夫だと聞いていたし,母が席を外したわずかな隙にサヨウナラも言わずに居なくなるなんて想像もしていなかったからだ。

僕が病室についたとき,彼はもう息をしていなかった。

母が病室を離れて自宅へ向かった時間と照らしても,彼が病室にひとりきりだったのはほんの10分程度だったろう。

しかし彼は,母と僕が入れ替わるほんの少しの間に逝ってしまった。

ひとりで僕らの前から去ることを選んだのだとしか思えない。
なぜもう少し待っていてくれなかったのだと,慌てて引き返して来た母が泣きながら怒った。怒りながら泣いた。

それからいろんなことがあっという間に終わった。
本当に一瞬だった。

頭は廻らないのに,親戚一同や誰だか知らないひとたちがたくさん僕の周りにやってきて次から次へと質問と要求の大合唱。

告別式,葬式,葬儀屋さんはどこ?お寺に連絡?花?どうやって買うの?葬儀の予算は?お金どっから出す?鐘をついたり,受付けつくったり,香典返し,食事の準備をしたり。喪主からの手紙とか式の際の挨拶の文言を考えたり,喪主の仕事は多岐にわたった。

田舎だから,何から何まで長男が仕切る。
水の呼吸の炭治郎と同じで,僕は長男だったからなんとか耐え切れたけれど,僕がもしも次男だったらきっと途中で逃げ出していたに違いない!

忙しすぎてもうその前後のことは覚えていない。
悲しすぎて葬儀のことなんて手に付かないなんてことになるのではと思っていたけれど,そんなことはなかった。
むしろボンヤリしつつも冷静な頭はいつもよりもずっとさえていたかもしれない。

なのに,今思えば僕はたぶん大事なことから目をそらしていた。
目をそらすことで,悲しすぎて辛すぎる事実をせいぜい「悲しいな」ぐらいにまでダウングレードさせていたのだろう。

だからたぶんいろんなことを忘れた。
喪主のあいさつはしたのだけれど,息子としての挨拶は忘れた。
父に何か伝えなくちゃいけないことがたくさんあったはずなのに,伝え忘れた。

そうか。
僕は父にお礼をしなかったんだな。だからまだこんなことを書きながら自然に涙がこぼれるんだな。
ああそうだ。「お疲れ様」とさえ言っていなかった。
死ぬ前にちゃんとお別れのあいさつをしておけばよかった。

もっと話をしておけばよかった。

どうしてひとは,なくなってからこんなことに気付くのだろう。なくなる前に気が付けばよかったと思う。前もって後悔することができれば,ひとはもう少し行動的になれるだろう。




しかし一方で,気が付いていたんだろう,とも思う。

気が付いていながら,コトバにできなかったことを悔やんでいるのだから,やった方が良いことはやれるうちにやっておく,なんて当たり前のことに今さら言うほどの発見はないのだけれど,これはすなわち,父の命日6月19日を迎えて,ただ感傷的になりたいだけなのだから問題はないか。



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