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誰かのせいにしてもあんまり良いことない話。『7つの習慣』第1の習慣|主体的である

第1の習慣|主体的である

書籍『7つの習慣』で僕がいちばん好きなのは第1の習慣「主体的である」です。

身につけるべき一番目の習慣であり,依存から脱却し,自立するための最初の習慣です。公的成功をおさめるには,私的成功をおさめねば成りませんから,その意味でもスタートにふさわしい,そして老若男女すべての者に必要な習慣でもあります。

主体的であるためには「自分で決める」ことがとても重要です。自分で考えて,自分で決める。そして決めたことを実行し,結果に責任を持つ。
この結果に責任をもつということ,すなわち「自分の人生に責任を持つ」というキーフレーズが大好きです。

だから僕はこの第1の習慣「主体的である」が本当に好きなのです。

主体性

さて,主体性というのは,一両日で身につくものではなく,日々の生活の中で様々な経験を経て,少しずつ身についていくものです。

主体性ってなかなか難しいんですよね。
主体的に生きてるって胸張って言えるひとがうらやましいです。

主体性を身につける習慣をいくつかあげてみます。
今日はその中でもいちばん大事なヤツを後述します。それ以外にもいくつもあるので,ここにはサラッと列挙します。詳細はいつかどこかで。

決定論によらず,自己決定性をもつ

社会通念は環境因子,遺伝因子,心理因子の三つのどれか,あるいは複数でつくられていると一般に思われていますが,自分のことは自分で決めることができます。

影響の輪に全力を注ぐ

直接影響を与えることができるもの(影響の輪)に全力を注ぐのが主体的なひとなのです。直接影響を与えられないが関心があること(関心の輪)に目を向ければ,徒労に終わるどころかそれに執着してしまい,影響の輪がどんどん縮んでいくのです。

反応的な言葉を使わない

反応的な言葉というのは自分の責任を転嫁するような言葉です。無意識に無責任を貫くネガティブな言葉です。

~しなければならない。
あのひとは~なひとだから。
僕にできることは何もない。
そんなこと許されるはずがない。
僕はいつもこうやっている。

自分との約束を守る

自分と約束をしてそれをしっかりと守る。
決意し,約束し,それを守ることがひいては自信に繋がり,主体性に続いていくのです。主体性がないひとは自分との約束を平気で破り,それでいてあたかもそれが仕方がないことのように振る舞うのです。

責任転嫁

一方で,これをしていると主体性が身につかないなんて習慣もあります。ずばり「ひとのせいにすること」です。

政治のせい。
経済のせい。
両親のせい。
貧乏なせい。
ガチャのせい。

他者にその責任を転嫁すれば,一時しのぎにはなります。いったん心を平穏に保つためには良いかもしれません。

自分を責めて,心がズタボロになってしまってはいけませんから,緊急避難としての責任転嫁はアリです。でも,責任転嫁しても実のところ現実は変わりません。自分がその責任を負う以外に事態を打開することはできませんし,そのままではこれから先も似たようなことが起きるでしょう。

自分にできる範囲のことを,自分で考えて,自分で決定して,自分で行動する。そうすると自ずと責任をとりたくもなります。

責任転嫁は主体性を失う悪い原則です。
そんなのが習慣づいてしまうと自分も困るし,みんなも困りますから,もしも日常的に責任転嫁してるようなら,今のうちに「自分ができることはないだろうか」と考えるクセをつけましょう。

主体性を身につけるには

『7つの習慣』でいちばん目立っていて,いちばんアハ体験なヤツを書きます。

まずは刺激と反応の間にスペースをつくりましょう。
主体性を身につける極意です。

× 刺激 → 反応
○ 刺激 → 行動検討 → 反応

刺激に対して,即座に反応するのは反応的といって主体的の真反対です。感情的に反応することなく,いったんスペースをつくりそこでどのような選択をすることがもっとも効果的かを考えるのです。

たとえばあなたがAさんから仕事の相談を受けたとします。
日頃から,あなたの仕事のやり方に難癖つけてくるAさんからの相談ですから,最初からあんまり気乗りしていません。
あなたはぶっきらぼうにAさんからの相談を受けこたえしつつ,どちらかというと否定的に話を聞き,その話に粗を探します。本当は今すぐにでも仕事の相談を打ち切りたくて仕方ありません。

そんなとき,Aさんが言いました。
「あなた,いつもそんな仕事の仕方してるから,成果があがらないんですよ。こっちの話しっかり聞いていますか?」

プチンと何かが切れる音がしました。
「クリリンのことかー!」と言ったか言わなかったかわかりませんが,髪の毛がゾワっと逆立ち,我を忘れて,いいえこれまでの鬱憤もありますから,いろんな事を思い出しつつではありますが,しっかり我は忘れて言い返します。
「いや,ならこっちも言わせてもらうけどね…」


という感じで,
外界からの刺激,この場合は「嫌いなAさんから仕事の相談」と「なんかディスられた」こと。
そして,反応は「気乗りしないまま,それが態度に出つつ相談にのったこと」と「ぶち切れたこと」。

いずれも刺激に対して,客観的に自分を眺め,今後の展開と効果的な選択肢を考えることなく,反射的に行動してしまっています。

気に入らないひとなのだからイラッとします。
しかもディスられたのだから,プチッといきます。
仕方ありません。

しかしそこで一旦停止ボタンを心の中で押す
まずはイラッとしている自分を自覚します。
おいちょっと待てよ,と。俺イラついてんな,と。

そして,コイツむかつくヤツだけど,相談に来てるだけでまだ何にもしてねぇじゃん。どんな話かもわからないのに,しっかり聴く耳持てないんじゃ,お互い悪い結果にしかなんないよな,よしまずは話聞いてやるか。いや待てよ,もしかしたらこっちにもいい話かもしれないから,もしもそうなら積極的に質問していってもいいな。あるいは今は少し時間があるから落ち着いてコーヒーでも飲みながら話を聞くよう提案でもしてみるか。

あるいは,

いやいやいやいや待て。俺。
ここでキレて良いことある?ないないない。
俺にもないし,コイツにもないだろ。だったら冷静に自分の気持ちを伝えるか,確かに俺の態度も良くなかったからそれに詫び入れつつ,こっから本気で聞いてやるか。さっきから聞いてる限り悪い話でもないし,コイツの言ってること言い方悪いけど,中身はちゃんとしてるんだよな。

などと冷静に脳内相談を行うのです。
これから行う行動や話す内容,良心想像力を発揮してたくさんの選択肢とその結末を思い描きます。

そして,もっとも効果の高い選択肢を強い意志で実行する。

これが「刺激と反応の間にスペースをつくる」ということであり,これができるのが主体的であるということです。
言動だけでなく,感情さえも自己決定する。それが主体的であるということなのです。自立した大人は自分の行動に責任が持てるのですね。

と言っても,腹が立つのはしょうがないので,腹立ってる自分に気が付いてあとで反省して,次はどうするか考えるとこから始めましょうか。

僕も沸点低いほうなので,ため込んでため込んでため込んでるときにキッカケが来るとプチッといっちゃいます。その度に後で凹んで,次はこうなるまえにしっかりと自分の意見を言えるようにしよう!と思ってがんばります。

先に示した例でも,Aさんとの確執はもっと早い段階で処理しておく方が好ましいのですね。仲良くなれとは言わないまでも,言うべきこと聞くべきことは相互に意見交換しておくほうが良いのです。

でないと結局,
アイツのせいで。

になっちゃいますからね。

第1の習慣|主体的である


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