noteってブログかと思ったら、21世紀のデジタル図書館だった件(上)
noteを始めて足掛け3年になる。
noterさんの自己紹介によくあるように
「日々の出来事や想いをつれづれなるままに書いています」
みたいな気持ちで、書いていた。
思いついたことをサラサラ書いては「公開に進む」ボタンをポチッと押して投稿していた。
そもそも、書きたいことがあって始めたわけではなかった。
2021年のクリスマスに向けて、友人からアドベントカレンダーという初耳企画を持ち掛けれら、
「ブログやってないんだよね!」
と断ろうと思ったら、
「じゃ、noteで始めてみたら、簡単だから」
と言われて、企画用の原稿を2本書いたのが始まりだった。
頼まれ原稿みたいなものだった。
しかしある時、そういえば学生の頃痛快な出来事があったなぁと思い出し、記憶の倉庫を探り探りしているうちに、
「この話、めっちゃ面白かったから、忘れないうちに文字にしておこう」
と備忘録代わりに書いたのが、「京都大学に泊まった話」だった。
初めてハッシュタグとかもつけてみて、数人から「スキ」をいただいたけど、僕のページは深夜の倉庫のように静まり返ったままだった。
響くのは自分の足音だけ。
「ま、自分のために書いたものだし、読まれなくてもしかたないな」
と自分を慰めていた。
ところが、ずいぶん後になってからのことだ。
「京都大学の寮に住んでいた」という方から連絡があったのは。
卒業後、学生寮は解体され無くなってしまったが、自分たちの思い出の場所という個人的な感慨だけでなく、学生寮とは独自の文化を持った世界だから、その面影や記憶を留めようと現地調査をしている方からだった。
京都大学のキャンパス内にあった学生寮に、東京から大学生がやって来て、
「一宿一飯の恩義に預かりたい」
と風呂やトイレを貸して欲しいと無心した話に興味を持ってくれたのだ。
備忘録とはいえ、書いておいて良かったと思った。
数十年前の京都での出来事をnoteに投稿しておいた。
すると、京都大学の学生寮というテーマで調べ物をしていた当事者の目に留まり、僕たちの訪問と一夜限りの饗宴を面白がって読んでくれた。
これって、過去の出来事を記した本を
後世の人が図書館に赴き、紐解き、探究したってことじゃん。
「まさに古代エジプトで、プトレマイオス1世が構想したアレキサンドリア図書館と同じじゃん!」
と興奮が高まってしまったのだ。
そうだったのか、ブログだよって紹介されたけど、実はnoteって現代の生活を記録した図書館なんだと気付いた。
そのあとにも、自分の結婚指輪が数年ぶりに見つかる!というエポックメーキングな出来事があり、Facebookに投稿したのだけれど、経緯が複雑な上に、時間経過も長いため、適当な説明になっちゃったという反省があって、同じ話をロングバージョンにしてnoteに書き直した。
そんなことをしていたら、あなたが今年書いた原稿は、何本で、何人に読まれ、何回の「スキ」をもらいました、みたいな連絡が来た。
データが簡単に取れるのはデジタルの長所のひとつ。
なるほど、noteはただの図書館じゃなくて、物理的な存在としての書籍を持たない、デジタル図書館なんだと思い至った。
それっきり、noteとはご無沙汰を決め込んでいた。(続く)