所有欲について考える|千種創一歌集砂丘律を読んで
出会う
アラビアに雪降らぬゆえただ一語ثلج(サルジュ)と呼ばれる雪も氷も
これは、『千種創一歌集砂丘律』の一首だ。今年の春頃、あるツイートからこの歌を知り、強い衝撃を受けた。当時は結構バズっていたので、覚えていらっしゃる方もいるのではないだろうか。
私はこのツイートを見て、猛烈にこの歌集が欲しくなった。それまでは短歌などに興味はなかったが、この歌の美しさに強く惹かれ、「他の短歌も読みたい」と思ったのだ。
すぐに近くの本屋に行き、取り寄せてもらうことにした。タイトルと作者の名前と出版社を伝え、意気揚々と家に帰った。
次の日、早速本屋から連絡があった。もう取り寄せできたのかと喜んだのも束の間、「本が絶版になっていて、取り寄せできません」とのことだった。
渇望する
もう手に入らないかもしれないと思うと、余計に欲しくなってしまった。
なんとかして手に入れたいと思い、オークションサイトなども見てみたが、どうしても見つけることができなかった。当たり前だ。ツイートを見て、私のように歌集を読みたいと考えた人たちがたくさんいる中で、手に入れられるはずがない。
もう手に入らないのかも。
それでも、諦めきれなかった。近くの古本屋を何件も回った。でも、見つからない。半分諦めつつ、本屋に寄る度に詩集・歌集コーナーを物色した。
手に入れる
恋人との散歩中、一件の古本屋を見つけた。グッズを出していたり、新刊も置いてあったりと、お洒落で綺麗な古本屋だ。
ここなら砂丘律が見つかるかも。
本当になんとなくだが、そんな気がした。
恋人がゆっくり本を物色している間、私は砂丘律を必死に探した。絶対にあるはず、ここで見つからなかったらもう手に入らない。何故かそう思った。
そして、予感は的中した。
詩集・歌集コーナーにそれはあった。何度も思い浮かべていた背表紙。やっと手に入れることができて本当に嬉しかった。いてもたってもいられず、喜びを発散するためにtwitterを開いた。
そこで砂丘律増刷を知った。
忘れる
やっと手に入った砂丘律。増刷が決まり、再びみんなが手に入れられるようになった。ちょっとガッカリした。あんなに必死に探したのに。
とはいえずっと読みたかった歌集だ。次の日、バッグの中に本を入れて家を出た。あんなに恋焦がれた歌集。最高の環境で読みたかった。
読もうとしてバッグから取り出そうとしたとき、ショッキングな光景を目にした。表紙が折れ曲がっていたのだ。
ショックで読む気になれず、帰宅した。そっと本棚にしまい、7ヶ月半の間触れることはなかった。
思いだす
昨日のnoteで、伝える力の磨き方について書いた。
紹介した方法の一つに、「詩集」「句集」を読むというものがあった。
詩集や句集は、語彙力を高める最高のテキストらしい。
そういえば春に歌集を買ったなと思い出し、7ヶ月半ぶりに砂丘律を手にとった。
夢中で読んだ。止まらなかった。
こんなに素晴らしい本を何故放置してしまったのだろうと思った。
そのとき、一つの疑問が頭に浮かんだ。
考察する
私は、本当に砂丘律が読みたかったのだろうか?
最初にこの本を知った時は、本当に読みたかったのではないかと思う。短歌で感動したのは初めてのことだったし、歌集という知らない世界の入り口になるかもという期待もあった。
しかし、絶版になっていることを知った時、読みたいではなく、手に入れたいに変わってしまったんだと思う。純粋に読みたいという気持ちは失われた。
欲しいのは「みんなが欲しくてたまらないけど、手に入れられないものを所有する優越感」だった。
だからこそ、手に入れた後に増刷を知ってガッカリした。表紙が折れて読まなくなったのは、内容ではなくモノに価値を感じていたからだ。
最後に
私は、当時表紙が折れてしまってよかったと思っている。
もし表紙が折れていなかったら、所有欲に塗れた当時の自分が読んでいただろう。そんなときにこんなに素晴らしい本を読んでも、こんなに感動出来なかったんじゃないだろうか。
所有欲という余計な感情のない今読めてよかったと思う。出会ってからだいぶ時間が経ってしまったけれど。
最後に、私が好きな歌を紹介して終わろうと思う。
瓦斯燈を流砂のほとりに植えていき、そうだね、そこを街と呼ぼうか
ティラールッリーフ、風ふきやまず松がみな低く墓標のやうに斜めだ
※ティラールッリーフ=風の丘
……7月18日286人、7月19日247人、7月20日252人
君の村、壊滅らしいとiPhoneを渡して水煙草に炭を足す
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