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女子校出身の人間関係が推しに反映されている気がした話(副題:りんちゃんとソが好きな理由)



 怖い話を1つしよう。20年生きてきて私には男友達が1人もいない。

 友達の定義が世間一般にどのようであるかはさておいて、日本人の気質的に一年間同じ空間にいただけのクラスメイトを友人とカウントする人は少数派だと思うのだが、最低ラインとして例えば”明日、前触れなくLINEでご飯に誘える”を友人の定義にすれば本当に女の子しかいない。(※下図、上から5番目の自転車に乗るパパを除いて全員女子なのがわかるアイコンの羅列)

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 幼稚園・小学校の時から誰かしらクラスの女の子とニコイチで仲良しの傾向はあったが、別に男の子の家に遊びに行ったりもしていたし、男3女2的なグループで遊んでいた記憶もある。だが、中高一貫女子校で完全に縁が切れてしまった。というか、もともと私の小学校は公立といえど東大が近いからか過半数が中学受験をして、中高一貫に進むのが普通で、皆学校が終われば夜10:00ぐらいまでcram schoolに文字通り詰められ、多分その偏差値教育のストレスで小学校の雰囲気はなかなかいつもカーストが明確で荒れ気味な感じではあったので、疲れて自ら積極的に縁を切った。

 その後、人格を形成する10代を羽を伸ばしてかわいいレンガ造りの女子校で過ごし、軽音に明け暮れスカート丈で注意され奇妙なバレンタイン文化に熱を上げ修学旅行で部屋から脱走して正直滅茶苦茶楽しかった訳だが、卒業した今、完全に女の子との友人関係の築き方しか分からなくなってしまった。(※下図、一時期軽音楽部内で一世を風靡した残像のゴトウと同期。通称”マッハ”)

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 その後もずっと仲良くなれるかは労力次第なので置いておいて、まず初対面でも、二人きりなら特に、2、3時感間永遠に喋っていられる自信がある。タイプによるが、大人しい子ならゆったりしたペースで「ここ、よく来るの〜?」と森ガールのテンションで切り出せば良いし、一軍ですが?みたいな顔した帰国子女なら「ピアス開けてんの!かわいい〜え痛くない?私も開けたいんだよね」と聞いてあげれば良い。ルートがある程度見えているし、押すか引くかの加減も肌感覚で滅茶苦茶分かる。(だからか知らないが、私は私が選んだ厳選された少数精鋭の友達に正直自信しかないし、全員マジで良い女しかいない。アベンジャーズより粒揃いに揃えてしまっている。共通して言えば全員芯があるセンスの良い陰キャだ。最高。

 それで本題に移ると、本当に、男性相手にどう関係を築いたら良いのか分からない。大学で女子校出身のミスコンの先輩が「一年したら慣れたよ〜」と言っていたが完全に当てはまらなかった。聞けば中学から他校に彼氏がいたらしいからお前は例外過ぎたのだ。無理。マジで会話続かんなんで???本当に意味がわからないぐらい一つの質問に対して1しか帰ってこないしすぐ沈黙になるの、何?逆にこいつむちゃくちゃ喋るやん...みたいな奴が急に「将来結婚したい?」とか聞いて来るのも何?マックの芋待ってる間の2分で話すテーマとして完全に間違っているが?????

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 仲が良い心理学の先生に泣きついたら、「いきなり恋愛を意識するからダメなのよ〜、人間として見て、まずは友達になりたいんですけど...のスタンスで行きなさい」と言っていたが、ごめんけど彼氏以前の友達の段階で大分躓いているなんて言えなかった。女の子相手にあんなに楽しく何時間も過ごせるのに、男性相手だと思考回路が分からないから会話の先が読めないし、何が楽しい話題なのかわからないし、連絡先を交換するタイミングなんてもっとずっとわからない。

”同じ人間としてみれば良いよ”と言われたって、会話ひとつでこんなに違うじゃないかと思ってしまう。逆説的だと思うが、男子不在の女子校出身者の方が男女の性を意識して人間を見ている気がしている。何故なら、どすっぴんで一緒にマリパ出来て温泉に一緒に入れて阿吽の呼吸で「それな」を入れられる相手と、会うだけで化粧の皮一枚必要な相手が同じなはずがないのである。(※下のイラスト、女の会話は「は?」「いやそれな」「マジで草」「それ」「死やん」「顔面格差」「いやそれな」「詰み。海外逃亡しかない。...見て、これ、しまむらなの」「は?勝利」で永遠にローテーションされている。私が言うんだから間違いない)

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 女子校という温室では、議長も発言者も企画も実行も全部が私達の手の中にあった。だが共学に行くと、問答無用で書記に押しやられる空気が存在する。面白いことを誰かが言えば、全員がそれに乗って超えて返して行く天才発明家だったのに、気づけばその座は男に取られ批評家として横で笑うか、否かの権限だけが渡された。

 わかっている。別にそのような振る舞いをしなくたって、良いはずである。けれど、多分私が逆説的に男女の絶対的な境目を信じ込んでしまっているせいで、逆照射されるように降り注ぐ”女性として見られている視線”という過剰な意識から逃れられない。

 繰り返すが、そのような未熟な自意識と輝くゥチらの青春✨のお陰で男性との関係が上手く築けない。そしてここからやっと本題です、その人の内面にある女性性が感じられないと、多分人間関係の築き方が全く分からないから、だから、りんちゃんとソに滅茶苦茶安心感を感じるのだと思う。いわゆる推し枠である。確固として絶対に彼氏では無く、こう、テレビ越しにほわ〜んとのんびりあったかく彼らを見る事が出来る。お笑いとはまた別に、人としてなんだか応援したくなる。(※下図、n回目だが、ゆり○んお前は前世でどんな徳を積んだんだ?)

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 りんちゃんは容姿で揺れ動く内情も、売れてキラキラしたマンションに住みたい思いも、ダイエットしたい気持ちも、ネタ書いてるのに一歩下がって見守ってる感じも、海外の空の下に心境の変化を綴りたい気持ちもなんか滅茶苦茶わかる... それな...インテリアかわいいね...ねえスムージー飲みに行こ?...だし、ソもソでこれが意外と身内の前で切れ味を上げて傍若無人に甘えたいけど外では良い子にしてみせる感じも、意外とすぐ泣く所も、栄養バランス考えないで甘いもん食う感じも、ピアノ齧ってる感じも、なんか滅茶苦茶こういう、あのちゃんに憧れててお昼ごはんポケモンパンしか食べてなかったゲーム狂いのサブカル下北沢女子、軽音のベースとかドラムでいたわ...となるのである。言動のわかりみが深くて安心するのである。今までの、私の身内フォルダにある人達の片鱗が感じられる

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 前回の記事で述べたが、私のように推しに直接対峙したら認知の事情からOSの処理能力が追いつかずショートして脳死してしまうオタクは、積極的に遭遇の可能性を回避するので”人間関係を築く”などと表現するのは、第7世代を齧っただけでお笑い通を自称するぐらいおこがましい。

 けれど、今まで構築された人間関係を度外視して自己を語るのは、人間は遺伝と環境で自己形成される以上不可能である。そして、オタクから自己(=人格)と推しを切り離すこともまた不可能、というより不自然であることは明快な事実である。

 今回投げたいテーマはずばり、『貴方の推し、貴方が今まで築いてきた人間関係模様反映されてます?』ということである。担タレ応用論、或いは類友を信じるなら派生論と呼べるかもしれない。これは昨日お風呂から上がった時にふと思いついた研究課題なので未開拓分野であり、正直事例研究が少ないのである。オタクフレンズ達、ジャンルは問わんから経験則を是非DMで聞かせて欲しい。開けて待ってます。

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