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The Emulator - ザ・エミュレータ - #36

5. グローヴ財団記念学園

5.1 ライフログ

 部屋から出るとそこはオフィスビルのワンフロアで、UCLのエミュレーション研究所だと教えられた。場所はオースティンではなく、シアトルだという。少し休みたいというスカイラーの申し出によってシアトルで一泊することになった。翌日ハイスクールの学生として過ごすシンタロウたち4人は、地中深くに建設された真空トンネル内を磁気浮上させたシャトルで移動する『ファストチューブ』を使ってフィラデルフィアまで移動した。シアトル-フィラデルフィア間を一時間かからずに移動することができる。

 フィラデルフィア市街から40マイルほど北東へ離れた郊外にある寄宿舎付きの私学に転入することになっていた。その私学の名前は『グローヴ財団記念学園』という。ビッグテックの1社を創業したグローヴ氏が代表を務める財団が運営するその学園は、資産家クラスの子息・子女が多く通う学園だという。

 こちらのリージョンにもシンタロウたちの世界と同じようにビッグテックが存在する。このリージョンもシンタロウたちのリージョンも元々同じオリジナルのエミュレーションデータから分岐したものでそれほど大きな違いはないのだという。シンタロウたちはUCLー1とは別の住居リージョンから来たことになっているので、多少の認識違いは疑問視されないだろうが、基本的な歴史や文化、そして一般常識は送っておいた資料をインポートしておくようにとノア・バーンズから説明を受けていた。そして彼がここまでシンタロウたちに付き添って、入学に必要となる書類の最終手続きを済ませてくれた。

「後は2、3か月おとなしく社会見学でもしていてくれ。このリージョンのエミュレータの全ての演算装置が君たちを認識してバイタルが定着したらエクスチェンジを通ってティア2現実に出る。定着が確認出来たら迎えに来るよ。」

 そう言って、ノア・バーンズは本社へ戻っていった。ティア2現実でエミュレーション事業の責任者であるサリリサと面会する手筈になっている。シンタロウはサリリサにティア間を移行する際にサクラを人間にする手段はないか聞くつもりだった。シンタロウとサクラがティア3検証リージョンのヴィシュヌの中に移住するよりも、もっと早い方法がないか模索していた。

 シンタロウたちは学園に到着して早々、試験を受けさせられた。プロセッサ利用とオフライン時の能力を検査する試験だった。このリージョンでは先天的な障害がない限り、必ずプロセッサを接種する。そのため、プロセッサをどの程度使いこなせるか画一的な試験を通して成績をつけられることが一般的だった。

 この試験は個人の能力について、プロセッサ有無双方の観点で試験が行われる。そしてその正誤の差を最も重視する。プロセッサを使うことにより『スコアが大きく上がる』、『標準的に上がる』、『変わらない』、『標準以下に下がる』の4つを基準として、SからCまでの4段階でランク付けされる。ランクと共に1000点中の評価スコアが付く。前提として、優性と定義された遺伝子が1つ以上ある場合、ランクB以下にはならない。そして、優性に該当する遺伝子がなければランクB以上になることはない。

 このリージョンではランクBでスコア500以下は基本的にビジネスなどの社会活動に参加できない。社会活動に参加できない人々はライフログを売ることで支給されるベースポイントで生きるか、小さな企業が募集する仕事を請け負って生活費を稼ぐかどちらかになる。小さな企業が募集する仕事はランクB、スコア500以下でも採用されることがあるが、競争率が高く、適正検査に通る可能性は極めて低い。しかし、適正検査に通れば社会活動に参加ができるのでライフログを売るよりもずっと生きやすい。

 ライフログを売り、ベースポイントを得て生計を立てるということは人間の尊厳を失って生きることを意味する。均一的な食品の中から好みのフレイバーを選択し、同じデザインの服からサイズと色だけを頼りに好みを選択する。時間帯やタイミング、これまでの選択によって商品購入に必要となるベースポイント数が変わるように設計されている。個人の嗜好とコストがどう消費に結びつくのか試されているからだ。

 彼らは24時間365日観察されているセンシングデバイスだらけの住居に住み、行動パターンデータを収集され続ける。その生活はまるで保護区で観察対象にされている野生動物のようだ。いつの間にか餌付けされて生活圏をコントロールされている。そういった動物は自分たちでも気付かないうちに野生を失っている。人間の尊厳も同じだ。

 シンタロウたちの世界でもライフログを売って生活している人々は存在する。こちらではそれがよりはっきりとした数値を基準に分別されている。数値化された能力によって人を分別する。理論的に説明可能なように言語化されたそれは『合理性』に基づいた行為といえる。そして、それは全く同じことを誤りなく繰り返すことができる再現可能な生産性の高い行為だ。今さら否定することはできない。いずれシンタロウたちの世界も同じことが起こるだろう。

次話:5.2 ランクA
前話:4.9 インターメディエイト

目次:The Emulator - ザ・エミュレータ -


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