【過去記事】親子関係があらゆる人間関係の基礎である:苫米地英人さんの講演会(コーチングフェスタ)

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親子関係があらゆる人間関係の基礎である:苫米地英人さんの講演会(コーチングフェスタ)
投稿日:2009/12/01 01:39:55

先日行われたコーチングフェスタ。出展していた側だったのですが、時間の合間に苫米地英人さんの講演会に参加できました。本当はすぐに記事にしようと思っていましたが、もう少し掘り下げて咀嚼してからの方がいいかな、と思いつつ今日に至りました。

苫米地英人さんがどんな方なのかはコチラで見てください。


講演の題目は「ハイパーラポールについて」
ラポールというのは心理、コミュニケーションの専門用語で、一般的には信頼感や安心感のある意図的な人間関係という意味として使われています。

目次
1:現実は記憶である
2:ラポールは結果である
3:ハイパーラポールとは?
4:感想


1:現実は記憶である

人間が知覚を通して認識する現実とは何か?というところから話が始まりました。とても分かりやすい説明で、いきなり話に惹きこまれました。

現実とは何か。人間の目で認識する「今」というのは正確にはわずかなタイムラグがある。音もタイムラグがあるし、温度や皮膚感覚も神経を伝って脳が信号として受け取り認識するまでタイムラグがある。
つまり現実とは、その瞬間そのものではなく、脳がReality(臨場感のある空間)として認識して初めて現実認識となる。正確には時間と一致していない。
よって人間にとっての現実は脳が認識するReality(臨場感のある空間)の事であり、もともとバーチャルであるという表現も出来る。

次に、例えばバナナを見た時に「これはバナナ」と認識できるのは過去の記憶によって認識しているから、味や香りを想像出来たり、新鮮かどうかを判断できる。初めて見たものは理解が必要。
なので、人間は現実を記憶から認識している。

2:ラポールは結果である

次にラポールについての定義をお話されました。
これも興味深い説です。

ラポールとは結果である。よくコーチの話で「ラポールを形成しましょう」という表現をしているが、作るものではない。

ラポールとは同じReality(臨場感のある空間)の共有である。

人間関係において相手と共に居る空間はReality(臨場感のある空間)と脳は認識しているが、それは過去の記憶から認識している。正確には、記憶に対して親(家族)との関係性を探し(検索)、目の前の人間関係に当てはめて現実認識を行っている。それがラポールである。つまり原因ではなく記憶から検索された結果である。

ではなぜ親(家族)との関係という記憶から現実認識するのか。
人間は生物としての生命力という概念を持っておりVital(生存への臨場感)と呼んでいる。このVital(生存への臨場感)とは何かというと、例えば幼い子供は自分一人の能力では生きていけない、つまり死と隣り合わせである。そこで親という存在が食物の提供、安全な環境の確保をしてくれるから生命の危機を感じずに生きていける安心感がある。これが関係性における記憶の核として保存されている。

共有するためにはお互いに同じ記憶を当てはめる必要がある。相手を理解するために脳が「抽象化」という作業を行うので、万人に共通するVital(生存への臨場感)から生命の危機を遠ざけてくれる(あたかも最大公約数のような)親との関係の記憶をお互いに当てはめるのである。

言い換えればお互いに関係性を理解、共有するために誰もが記憶する「親(家族)との関係」を記憶から適用するのである。
*もちろん家族との記憶の無い方もいらっしゃいますが、その場合でもVital(生存への臨場感)から生命の危機を遠ざけてくれる存在との関係ということになると思います。

(↑もう少し簡素な言い方できないかと反省中)

3:ハイパーラポールとは?

共有するReality(臨場感のある空間)の支配者との関係である。

支配者とは何か?
例えば複数の人間の集団が共有するReality(臨場感のある空間)が存在していたとして、そのReality(臨場感のある空間)を維持し続ける役割や能力の発揮を行う人間のことを言う。もちろん1対1の共有空間でも支配者という概念はある。

支配者のプラス面は共有状態を維持し続けることで、共有が壊れにくくなる。
マイナス面はReality(臨場感のある空間)を共有していながらも個人に介入してしまうケースもある。つまり共有する領域を越えて相手の非共有領域に踏み込むケース。維持し続けるために共有状態をコントロールする、言い換えれば支配者の価値観で相手に割込みを掛けるという意味。

ハイパーラポールは維持し続ける人間との関係性なので、関係性における「親」と言えるでしょう。
つまり親との関係性という記憶が、1対1でも集団でも対人関係の基礎となっているという説です。
通常のラポールでも親子関係が基礎であり、ハイパーラポールにおいては更に共有を維持するという親という関係性です。

4:感想

まず私が常々考えていた仮説を補強してくれたことが何よりの収穫でした。
それは親子関係が、人生すべての人間関係の基礎であると言う私の仮説です。

・コンフォートゾーンと親子関係

数々のコーチングセッションを行ってきた経験から、親との関係がEmpowermentの根源であったり、Dis-empowermentの根源であったりするケースが非常に多いと感じています。

それは親との直接的な関係性に限らず、会社組織内の関係性や友人・夫婦との関係性でも課題や問題の根源を聴いていくと必ずと言っていいほど幼少期から思春期あたりまでの親子関係の記憶が関係しています。

中でもVital(生存への臨場感)という概念が腑に落ちます。特に幼少期~思春期までの親との関係は、意識はしていないにせよ常に生存できる環境と関係していると思います。生存するために強烈な記憶の核として人生を歩む礎となっている。

また生きることは生命の安全性と結びつくので、安全を確保されたコンフォートゾーンから踏み出す時に、不安や恐怖を感じるのはもっともであると思います。つまり環境の変化や、新しい事への挑戦というものには、親との関係で体験した事が関係するという考え方です。

例えば子供の時に「お前はノロマなんだから早くしなさい」と言われ続けたなら、常に早めに準備しないと不安になるでしょうし、「周りはちゃんとしているのに、なんでお前はちゃんとしないんだ」と言われ続けたなら、常に周りの様子をうかがい、他とは違うことを始めようと思っても不安でいっぱいになるでしょう。このように自分で生きていく状況になって、コンフォートゾーンから踏み出そうとする時には、意識していなくても記憶のどこかから抵抗感が生まれると思います。

もちろんネガティブな面だけではなく、親との関係性から常に勇気をもらってコンフォートゾーンから踏み出すケースもあるでしょう。

・コーチとしての姿勢

苫米地さんはコーチ向け講演ということでこんなことも言っていました。

コーチは支配者として、そして支配者であることを手放して、その両方が同時に起こるRealityを共有する必要がある。


コーチングは対等性が大切であると私は思っています。
苫米地さんの言うラポールの支配者であれば親という抽象化された関係性の為に対等ではなくなるし、支配者でなければ共有されたRealityを意図的に維持することは難しい。

この考え方も私の考える対等性を補強する概念だと感じました。

コーチの想いや感性から相手に割込みを掛けることは支配であり、クライアントの方をコントロールしてしまう危険性。コーチに依存する関係性。

セッションにおいてRealityを共有することに全力を傾けないということは支配の放棄であり、セッションそのものの意味を失ってしまう。クライアントに依存する関係性。

そのバランスがとても大切であると私は考えます。

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