【過去記事】企業組織からインディペンデント・ビジネスユニットという発想

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企業組織からインディペンデント・ビジネスユニットという発想
投稿日:2009/12/19 01:36:07

ファシリテーター養成講座を企画しているメンバーと打合せしたときに雑談として出てきた話題を掘り下げてみたいと思います。

発端は、会議における有効な場とは何かという対話でした。

企業における会議は、大抵の場合、時に無駄なものとして各種メディアで扱われています。実は会議そのものが無駄というより、有効性が少ない会議が多い、だから無駄という発想になっているのではないか。そして、そもそも会議という場は、日常のビジネスシーンが凝縮された場なので、会議という表層ではなく日常に立ち返り、普段の人間関係への焦点も重要ではないか。

であれば組織体として、いかに人間関係の場を扱うかということも課題として見えてくる。例えば評価制度における成果主義というのはどんな役割があるのだろか。過去の経験上、成果主義をポリシーメイキング抜きで手法を入れているケースもある。これはある意味悲劇を生んでいる可能性もある。評価制度そのものはビジネスをクリエイトしオペレートしていく組織の場に多大な影響を与えている。

評価とは何か?ということさえ議論されていないように見える企業もコンサル経験や人脈の情報から沢山あるように見える。製造と営業の確執が起こるケースでは、人事ローテーションのポリシー、例えば製造部門を何年経験し営業部門を何年経験する等、が社内のキャリアデザインと結びついていないという事例もあった。ある日突然、製造から営業に配属され、慣れない中、「即戦力」として評価される。もしくは新卒採用、中途採用の社員が入社直後から成績に直結する評価対象となる等。知識の教育や人間の成長の期間を「貯め」として待てない状況もあるのだろう。

3,4年前に著名なコンサルタントに直接聞いた情報だが、ITベンチャーと呼ばれ急成長している有名な企業は成果主義を採用し、年齢に関係ないポジションやケタ違いの年収を得られるが、一方で企業としての全社員の平均年収は同規模の旧来型の企業よりも低い。ということは成果の上がらない社員の給与は驚くほど低いというアンバランスで成り立っている。(その低い給与体系がベンチャーとして利益を出せる大きな要素でもある)このようなアンバランスな評価制度で、成長する時間、組織の場を醸成することは出来るのかという問いも立つ。
*スタートアップした企業が安定企業になるまでのスピードを緩めることが出来ない期間でもあるので一概に当てはめるのはナンセンスかも知れない。

この文脈からすると評価制度と育成は両輪であり一緒に回していく考え方なのではないか。


この後の対話の内容が思考を刺激したのでここからが掘り下げになります。

1)育成について

育成とは人材に対する投資である、というのは一般的に言われていることです。それを分けて考えてみると分かりやすいのではないかと思います。分けると弱点も見えてくる。

・知識の教育:知識、スキルの習得

当たり前ですが、知らないことは行動出来ないという考え方で、いわゆるOJTや集合研修などで知識を身につけるということです。これには企業の文化やフィロソフィー等も含まれます。

・人材の成長:ノウハウ、思考、習慣、コミュニケーションの変化

ここがおそらく日本の企業の弱点かもしれません。一般的に自分で鍛えろ、という考え方が多いと感じます。もちろんそれが本質なのですが、その成長を支えることを仕組み化する概念です。

崖から落として這い上がれ、というのは偶然性に身を委ねているとも言えます。偶然性を必然性に変える仕組みは、ひょっとすると「オルタナティブな場」。解りやすく言えば喫煙室でビジネスアイデアが生まれる、と言われているようなイメージです。

対話できる物理的空間を設ける、という取り組みはすでに一部の企業で進められていますが、もう一歩、仕組みとして踏み込むということです。様々な部署、年齢など雑多な人員で構成する(職務上のラインから外れた)オフラインミーティング。

オフラインミーティングでは、人間としてのストーリーや気持ち、仕事上のノウハウ等を対話で深めていく場。

2)評価制度について

この部分は自分なりのまとめです。新たな提案は無いですが、記録として。

評価制度が、クリエイティブな人間関係の足かせになっているケースがあるのではないかと思います。評価されるから、保身のための予定調和や、言いたいこと言えないストレスがたまる等のコミュニケーション課題に影響している可能性は大きいのではないか、ということです。目に見えない呪縛が、大げさですがメンタルヘルスにも影響している可能性。かと言って評価がなければ給与の基準が曖昧になってしまいますね。肉体労働を基準としていれば明確なのですが、知的労働の場合は、基準が曖昧になりやすい。結局売上との関係でしかなくなるというジレンマ。


3)企業に属するのではなく、インディペンデントなビジネスユニットの可能性

ここからは打って変わって企業に属さない可能性の話です。

評価制度がそもそも矛盾を抱えているものであれば、いっそプロジェクト(案件)ごとに評価基準を設けても良いかもしれないと思いました。
管理は誰がするのか?それはプロジェクトのメンバーがする。では、組織としての効率が悪いのでは?という考えになって気がつきました、もうインディペンデントでも良いのではないか?

これは私特有の環境と志向の話になりますが、組織というプラットフォームは役割という制約がある。ここが「オルタナティブな場」という概念から遠いのではないかと感じることです。

オルタナティブが、すでにオルタナティブでなくなり、メインの場として存在する。

インディペンデントだから好きなプロジェクトの好きな領域に参加すること。その方がメンバーは喜び、自分も嬉しい。場に対して成長することが期待出来ないようになれば、卒業して良い。それは決してネガティブな意味ではなく、次へのステップアップ。

この最大の特徴は、自分の個性を発揮することが、メンバーへの貢献であり、メンバーから承認されるということにつながること、そして支え合うことです。メンバーが集まったらそこが「場」になること。

振り返って、企業組織へ適用すれば面白いのではないかと思います。

全く概念を変える必要はありますが、ビジネスユニットごとにメンバーが手揚げ方式や誘い入れ方式で集まる。
システム開発等と同じように見えますが、ビジネスユニットなのでもっと領域は広く、営業・製造・カスタマーサービス・受発注など、得意の領域で自分の個性を発揮する人たちが作るミニ企業というイメージです。ミニ企業の集合体が、ひとつの法人として機能している状態。ホールディングカンパニー中心のような資本による集合ではない。

空想の話なので現実性はかなり薄いですが、面白いなと思います。

ただ本当にインディペンデントの個人事業主の方は、コラボレーションによってミニ企業を複数かけもつというスタイルはかなり浸透していますね。

まとまっていませんが、戯言として受け止めていただければ嬉しいです。

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