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最高でなくても、最良の日を

お部屋の花瓶に、芍薬の花を迎えました。
たっぷりの花びらが、毎日ふんわりと広がっていき、柔らかくて優しいお花です。
精一杯持つように、と水を変えたりあまり日の当たらないところに置き換えたりするんですが、咲き切った花びらは、ある日本当に撫でるくらいに触れた程度で一気に花びらを落とします。
一枚落ちてしまうと、後からまた一枚、また一枚とどんどん落ちます。
落ちていくのがわかっていながら、もう終わってしまった花の盛りを、わたしは花びら一枚ずつ、触れて、落として、見守ります。
暖かくなってきて、部屋に切り花を置くという楽しみに、期限が迫ってきています。
これからの季節は、ばらが咲きます。
あじさいも咲きます。わたしの大好きな花です。
自分の名前の漢字を電話口で伝えるときに、「紫陽花のむらさきです」と言っていた時期がありました。「むらさきです」で伝わるんですが、何となく「紫陽花の」と言いたかったんです。
最近言ってないな。そもそも名前を漢字で説明する機会がうんと減りましたよね。

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父方の祖母が、長い間認知症を患っていましたが、キーパーソンである叔父への被害妄想が強くなり、特別養護老人施設に入ることになったと、先日実家に帰ったときに母から聞かされました。
いとこの中でもわたしは最後の孫で、一番年下でした。ずいぶん可愛がってもらいました。
叔母が交通事故で亡くなり、祖父が老衰で亡くなり、祖母はどんどんと被害妄想が強くなってきました。
今年の正月に挨拶に行った時は、わたしが自分の名前を名乗って、父の名前を言って、ばあちゃんの孫だよと言って、ようやくわたしのことを思い出してくれました。そしたら、「この家の孫やってこと忘れたらあかんで」とわたしに泣いて縋りました。
忘れないよ、だからちゃんと会いに来るんだもん。ばあちゃんのことちゃんと覚えてるよ。そういうと益々祖母は泣きました。感情のコントロールができなくなってきているところも、前に会った時よりも進んでいました。
祖母はもう90を超えました。
なんだかんだ長寿の家系です。穏やかに過ごしでくれることを願います。

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もういつぶりだったか思い出せないくらい、久しぶりに、お菓子を作りました。
大切な友人の誕生日に何を贈ろうかと考えて、都会の街を歩き店を見ても、どうもしっくりピンと来るものがなくて、困ってしまって。
これはもう、手作りしかないな、と思いました。
お菓子作りというのは、わたしにとってはものすごい難易度の高い創作です。
計量、材料の温度、合わせ方、焼き加減、どれかが狂うと、全くうまくいかない。
今までお付き合いしたり好きな人にバレンタインに贈るチョコだって、作ったことはありませんでした。だって買った方が絶対に、絶対に美味しいから。
丸焦げになっちゃったけど愛情込めて作ったクッキーと、百貨店を何周も回って悩みに悩んで買ったチョコレートは、「どちらが愛がこもってるか」でいうとおんなじです。ならば、美味しい方がいい。
お菓子作りに対してそういう思いだったわたしが、作ってみようと思ったのは、また一つ何か心境の変化があったのかもしれません。米粉を使ったウィークエンドシトロン(レモンのパウンドケーキ)を作りました。
ラッピングするのに切り分けた端っこを味見すると、ちょっとパサっとしていました。でもレモンの風味が爽やかで、まずまずの出来でした。
友人はとても喜んでくれました。

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4月のはじめに、マッチングアプリを始めました。
失恋のあと、楽しく自己成長できる恋愛のかたちもあるのかもしれないという動機で始めました。
これまで合計4人の方とお会いしました。今でも連絡が続いている方は、残念ながら一人もいません。
皆さん真剣にお相手を探しているようでした。盛り上がって楽しい時間を過ごせた方ももちろんいました。でもどこか違和感があったんです。
相手も、わたしも。はなから「この人と付き合えるか、結婚まで考えられるか」という視点で会話が進んでいったからでした。
相手がわたしを見る目に「わたしの気持ち」はなく、わたしが相手を見る目に「相手の気持ち」がないことに気がついたんです。
「また」と言って別れた人も、その「また」がないことはもう知っていました。
これは、恋愛ではない。わたしは「彼氏」や「将来の旦那さん候補」がほしいのではなく、尊敬できて心が温かくていろんな感情を共有できる「好きな人」を求めていたんだと。早い段階で気づけてよかった。自分を大切にできてよかったな、と思いました。

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29歳の一年間で、やり残したことがないようにしようというわたしの裏テーマで今やっていることが、「ヘアスタイルで遊ぶ」ということです。
それで第一弾として、思い切って全頭ブリーチをして、今ピンクベージュに染めてもらっています。少なくとも2日に1回は、ピンクシャンプーを使って色を保とうと頑張っています。
職場には、母世代の女性ばかりなので、はじめは反感を買うか、注意されるかするのかと思っていましたが、予想は180°違い、「似合ってるね」でした。
職場どころか、会う人会う人に「明るい方がいいね」と言っていただけます。
調子に乗ったわたしは、第二弾として前髪を作りました。
ずっと長らくセンター分けの前下がりボブかハンサムショートでしたが、久しぶりにマッシュスタイルにしてもらいました。これがまた、評判がいいのです。
これはもはや坊主にしても褒められるのでは?と思いました。そのときふと考えました。
みんなはこのスタイルを褒めてくれてるというより、「新しいヘアスタイルを楽しんでいるわたし」を褒めてくれているのかもしれない、と。

少し話は違いますが、友人と話をしていて「いつもありがとう、わたしはあなたの幸せを人生賭けて願うよ」とわたしが言ったら、「わたしは勝手に幸せになるから、そのベクトル自分に向けたげて」と言われました。
わたしがわくわくして、楽しんでて、笑顔で、幸せそうなら。
それを見た周りの人が、わくわくしたり笑顔になったりしてくれることもあるのか。なんかハッとしました。
誰かのため、みんなのため、と鼻息荒く戦ってボロボロになるわたしもそれはそれでかっこいいと思うけど、わたしがわたしのことを大切に、自分のわくわくすることを楽しんでいる姿で、人を幸せにできることもあるのかもしれない。

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ずいぶんと季節が進み、早くも左の手首にうっすらと日焼けの跡が見えるようになってきました。大慌てで紫外線予防のパーカーを出しました。
でもこの時計の跡、年中病院の建物の中で働いていた頃には絶対にできなかった、季節を巡っている証のようで、割と嫌いではないんだよな、と毎年思うんです。
何でもない毎日にも、「ああいうのがいいな」「こういうのよかったな」という感覚を、きちんと自分の中に落とし込む。
一番じゃなくてもいいし、負けたっていい。いつでも自分と外界との距離感を、ちゃんと線引きした方がいい。
良い休日を、お互いに過ごしましょうね。愛を込めて。

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