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読書メモ|『正欲』
朝井リョウさんの『正欲』。
待ちに待った映画化で、映画見たら原作ももう一回読みたくなったので改めて読んだ。
2021年の3月に発売されたこの本を、私はすぐに買って読んでいたらしい。
当時読んだ感想としては、「多様性」という言葉への批判に対する衝撃と、でも確かに自分の想像の及ぶ範囲での多様性しか頭になかったなという反省とが強かった気がする。
多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。
改めて読んでみると、誰もが多少なりとも辛いことや苦しみを抱えているということ、それを曝け出せる人と繋がることで救われるということへの共感が大きかった。
言葉にできないさみしさ、不安、疑問、なんでもいい。自分の中にある自分でもわからないものをわからないまま晒し合える時間は、やがて縦に横に自由に重なり、やわらかくて丈夫で、誰の足も抜け落ちないようなネットと成っていく。
三分の二を二回続けて選ぶ確率が九分の四であるように、”多数派にずっと立ち続ける”ことは立派な少数派である。
まともって、不安なんだ。正解の中にいるって、怖いんだ。この世なんてわからないことだらけだ。だけど、まとも側の岸に居続けるには、わからないということを明かしてはならない。
当時は、この本を読んでもなお、自分のことを無意識で「理解する側」と思っていたのかもしれない。けどこの約2年半を経て、登場人物たちの抱える悩みや葛藤が他人事とは思えなくなった感じがします。読んでいて自分を重ねてしまうとか、引き込まれすぎてしんどくなってしまう度合いが高まった。
「理解がありますって何だよ。お前らが理解したってしなくたって、俺は変わらずここにいる」
「何でお前らは常に誰かを受け入れる側っていう前提なんだよ。お前らの言う理解て結局、我々まとも側の文脈に入れ込める程度の異物か確かめさせてねってことだろ」
辛さとか苦しみを「自分の方がしんどい」「あの人の方が辛いだろう」と比べてしまうことはある。けど、苦痛の種類や度合いは人によって違うから単純に比べることはできないし、完全に理解することもできない。「分かり合おう」と努力することしかできない。ただその努力すらも、押し付けがましくなってしまうこともあるもどかしさ。話しても理解されないだろうという諦め。しんどい。
「はじめから選択肢を奪われる辛さも、選択肢はあるのに選べない辛さも、どっちも別々の辛さだよ。」
あと、「正しい命の循環の中を生きている人」という表現が強く印象に残っている。
「明日、死にたくないと感じている」というのもそう。明らかに正しい。
「正しさ」って人を苦しめるよなと最近思う。自分の中にある「これが正しい」のせいで自分をがんじがらめにしてしまう。他人のまともさ、健全さに直面することで、その正しさゆえに批判もできず、自分が正しくない側に追い詰められていく。
だけど人に対しては正しさを求めてしまったりする矛盾。
『正欲』って、一つには「正しい欲」って意味があるんだと思う。こういうのが”普通”の欲としてあるよね、とか、正しい欲ってなんだろうねとか。
もう一方で、「正しさに対する欲」という意味もあるのかもしれないなと思った。
主題歌もとてもよい。特に後半が好き。
これが愛であって欲しい
と言うのが君であって欲しい
これが夢であって欲しい
と思うのが僕であって欲しい
これが愛であって欲しい
と言うのが僕であって欲しい
これが夢であって欲しい
と思うのが君であって欲しい
ねぇ、
もしも寝言だったら
言ってねまた寂しくなるから
何度も君に言うよ
いつものように呼吸のように
あぁ
僕の日々の中で君がまだ息を吸うなら
僕は君の横でずっと息を吐いてていいかい
どうだろう
これは私の解釈だけど、
「僕と君の2人の関係性について「これが愛であって欲しい」と君に言って欲しい、相手に対しても「これが愛であって欲しい」と言うのは自分でありたい。
2人にまつわることで何か悪いことが起こった時に、「これが夢であって欲しい」と心を痛めるのは君じゃなくて僕であって欲しい、でも、自分に何かあったときに「これが夢であって欲しい」と思うのは、他の誰でもなく君であって欲しい。」
ということなのかな、
そして「もしも寝言だったら 言ってねまた寂しくなるから」で何を言って欲しいのか考えた時に、
「いなくならないから」
なのかな、と。
映画と重ねすぎかな。