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たまにはシューマンについて書くよ。クラシックレコード蒐集日記

このシューマンのピアノ協奏曲のレコード、先日300円で手に入れたので繰り返し聴き込んでいる。一応シューマンの方はB面で、A面はグリーグのピアノ協奏曲。クラウディオ・アラウの演奏による、オランダ版のレコードである。

クラウディオ・アラウ(Pf)クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 Phil. 835 189

レコードには国内版と海外版という大きく分けてふたつの枠組みがあり、一般的には海外版の方が重宝される。国内版は当時の販売数も多く現在でも広く流通している一方で、海外版はその希少性によってコレクターのためのアイテムとなっており、需要があるためと言われている。

クラシックをレコードで聴き始めた頃は海外版と国内版問わず、自分の知っている曲かつ安価で手に入れやすいものを中心に集めていたものの、次第にありきたりのデザインではない海外版のものに惹かれるようになってきた。とりあえず読みたい本があるときにブックオフの100円コーナーは非常にありがたいけれど、かと言ってそこで購入した本をコレクションとして、後生大事に保管はしておきはしないような、そんな感覚に似ている。

同じ演奏者による録音でも国内版より海外版の方が価格が高いことが多いけれど、ある国内版に対応する特定の海外版があるというわけではなく、発売元の国によってジャケットのデザインも違うし、カップリングとして収録されている曲も異なる。ロックだとこのアルバムはイギリス版だと相場がいくらで…と何となく決まっている部分があるけれど、クラシックは予想がつかないのが面白いところ。レコードを500枚、1000枚と持っている人どうしでも、きっと同じクラシックレコードを被って持ち合わせていることはかなり少ないのではないかと思う。

海外版と言っても輸入元の国は多数あるわけで、一部の名盤などを除けば安価に手に入れられるものは沢山ある。「音質がそこそこ良い」「手の届く価格」「惹かれるジャケット」と言ったベン図に当てはまるものを探す必要があるけれど、逆に制約があってこその蒐集だし、楽しい。そんなことをしているうちに、自宅にあるレコードはロックやジャズのレコードよりもクラシックレコードの枚数の方が圧倒的に多くなった。

あと国内版だと結構帯付きのままのレコードが残っていたりする。帯付きの状態のレコードの方が資料価値としては高いのかもしれないが、いかにも宣伝文句といったような内容の文章が仰々しく書かれているのを見ると、少し怯んでしまうし、名盤だけを目的にレコードを探しているんじゃないよ、と反論したくなる。逆にフランス語やドイツ語で曲名が書かれていると、ちょっとかっこいいよね。

さて、シューマンのピアノ協奏曲は本当に好きなピアノ曲の一つ(総じてピアノ単体の曲よりも協奏曲の方が好みではある)なのだけど、何よりもシューマンの良いところはいつでも心が受け入れる準備ができていること。少なくとも休職中という現在の心身状態はシューマンと相性が良いらしい。ラフマニノフの協奏曲もチャイコフスキーの協奏曲も、どちらも複数枚(ラフマニノフ2番の方は多分5枚くらい)レコードを持つほど聴き込んではいるものの、幾分聴くタイミングが限定される。

寝起き10分で自宅を出られるほどバイタリティに溢れていた中学生時代では朝からラフマニノフを聴けたものだが、今では夕食を準備する頃から入浴前の時間帯に限られる。3番のカデンツァなんて圧が凄いし。チャイコフスキーの方といえば、怖いもの知らずといったような強者の風貌を漂わせており、これは逆に太陽が出ている時間帯でないと安心して聴くことができない。一方で、シューマンのこの協奏曲は寒い日の昼下がりにも、夜の珈琲を淹れた後の時間でも不思議と合うので、ついついこのレコードを選んでしまう。

オーボエの演奏の後にピアノが模倣する第一主題

A面にはグリーグのピアノ協奏曲が入っているので少しだけ触れておく。グリーグはというと、テレビ番組などで「悲劇の主題」としてしばしば使用されるあの有名なメロディー。始まりの下降音形のピアノが似ており、調性も同じくイ短調のことからよく比較される。レコードでもシューマンと合わせて収録されることが多いようで、今日購入したゲザ・アンダの弾くグラモフォンのレコードもB面がグリーグだった。

ゲザ・アンダ(Pf) ラファエル・クーベリック指揮 ベルリン・フィル Gram 133 888(1964年)

500円くらいで購入して、一枚だけなのに袋に入れてもらうのも何だか勿体無いのでそのまま脇に抱えて持って帰ることにした。グラモフォンの黄色いタイトルの枠はいかにもクラシックという感じがして目立つので、一応表紙の面を内側にして持っていたのだけど、何かに気づいたらしい男性に地下鉄で話しかけられた。レコードを指差しながら呟いていたので慌ててイヤホンを取ると「僕もクラシック好きです」とのこと。もっと深刻な内容かと思って身構えていたのでうまく返事ができなかったのが心残りだった、20代の人間がクラシックレコードを聴いていることに少し嬉しかったのかなあ。

ゲザ・アンダはとても端正で非の打ち所がない演奏をするので聴きやすい。でもどちらか一枚を選ばなきゃいけないとしたら、僕はクラウディオ・アラウのものを選ぶ。ポリーニやゼルキン、アルゲリッチの演奏も聴いたけれど、クラウディオ・アラウの演奏がいちばんシューマンらしい詩情を纏っている。ゼルキンの演奏は決して粗野とまではいかないものの、歌い上げて欲しい場面で意識の流れを断ち切られるような感覚がして、僕には合わなかった。持っているクラウディオ・アラウのレコードはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団との演奏で、これとは別に1945年にデトロイト交響楽団と演奏した録音もApple Musicで配信されている。こちらはいつかレコードを手に入れられると信じて、まだ聴かないでいる。

そういえばこの協奏曲の第一楽章は、最後に全オーケストラで4つの和音を鳴らして終わる。朝にレンジを使用するときに、押した4つのボタンの「ピッ」という音がたまたま重なって鳴って、これはなかなか気持ちが良かった。ラ・ラ・ランドの『Another Day of Sun』の終盤のクラクションの音が同じくレンジのボタンの音と重なったときも変に一人で感動したなあ。

第一楽章の終盤

あまりにもレコードが増えすぎており、コレクションとしてはいくらあっても問題ないものの、部屋の広さの有限性には抗えない。レコードラックを購入したのはついこの前の気がするのに、もうしまいきれない程に溢れている。収納できるスペースを増やすか、収納する方のレコードを減らすのかの二択だけど、良い解決案はまだ見つかっていない。レコードを減らすにしても中古品の買取に出すのは避けたいので、近々フリマみたいなものを開催して譲るのもありかなあと考えている。

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