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ユーミンは、「私」を通じて「世界」の「本当」を表現し続ける。

ユーミンの48年間の芸能活動で発表されてきた楽曲を3つのターム(荒井由実 4枚43曲 / 松任谷由実 34枚339曲 / ニューアルバム12曲)にわけて分析。ユーミンが、時代を通じて歌い続けてきたことは何か。また、パンデミック下に制作されたニューアルバム『深海の街』では、どのような変化が見られたのか。プログラミング技術と感受性を駆使して、筆者のラジオ番組(*)へのゲスト出演を機会に解析したものを回顧した。 

荒井由実(1972-1976):ひこうき雲 / MISSLIM(ミスリム)/ COBALT HOUR / The 14th Moon(14 番目の月)
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荒井由実は何を歌って、何を歌ってこなかったのか?
まず目に映るのは「」という言葉。これは松任谷由実になってからも一貫して使い続けている一人称である。長渕剛が様々な一人称を使い分けて時代ごとに異なる世界観を生み出していたのと比べてみると、その特異性がよくわかる。ユーミンは、最初から「私」を通じて「世界」を歌い続けている。「」と「」についても一貫して歌い続けているが、荒井由実時代のほうが「恋」が出てくる頻度が高い。ひとえに若さ由来だとも言えるのだが、ほかに選ぶ言葉からは若さ故の焦りのようなものが読み取れない。たとえば「走る」という焦燥感を表すような動詞を一切使っていない。むしろ松任谷由実になってからの方がよく使っている。ほかにも「彼方」「」「」という言葉だったり、最初から達観しているような印象がある。何しろデビューアルバムが『ひこうき雲』で、1曲目からあの『ひこうき雲』である。死と希望が隣接している。ユーミンは最初から、完成されていたと言える。

松任谷由実(1976-2016):紅雀 / 流線形'80 / OLIVE / 悲しいほどお天気 (The Gallery in My Heart) 時のないホテル SURF&SNOW / 水の中のASIAへ / 昨晩お会いしましょう / PEARL PIERCE / REINCARNATION / VOYAGER / NO SIDE / DA・DI・DA / ALARM à la mode / ダイアモンドダストが消えぬまに(before the DIAMONDDUST fades...) / Delight Slight Light KISS / LOVE WARS / 天国のドア (THE GATES OF HEAVEN) / DAWN PURPLE / TEARS AND REASONS / U-miz / THE DANCING SUN / KATHMANDU / Cowgirl Dreamin' / スユアの波 (WAVE OF THE ZUVUYA) FROZEN ROSES / acacia  / Wings of Winter, Shades of Summer / VIVA! 6×7 / A GIRL IN SUMMER / そしてもう一度夢見るだろう / Road Show POP CLASSICO / 宇宙図書館

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松任谷由実になってさらに拡張されてゆく世界観
」という言葉を一人称に設置したまま、松任谷由実はさらなる「世界」の「本当」を求めて拡張を続ける。なにしろスタートからあのクオリティである。すでに完成しているものをどうやって先へ進めてゆくのか。松任谷になってからのユーミンが残してくれたアルバムの数々は、原石を磨き上げるクリエイティブのお手本のように感じる。具体的にどうしてきたのか。このタグクラウドにも現れている。たとえば「季節」という言葉は荒井由実時代から使っていたが、松任谷のユーミンはさらに「」「」「」「」それぞれに宿る気分や心象風景の解像度を高めていった。春は春でもいつの時代の春なのか、過ぎゆく青春のグラデーションなのか。「私」を通じて目に映る全てのことを、ユーミンは音符と言葉に変換して歌にしてきた。

本人に直接確認したわけではない。なので仮説に過ぎないが、ユーミンは現代女性として令和にデビューしたとしても、夫婦別姓の選択は選ばなかったのではないか。松任谷由実になってからの仕事は、夫である松任谷正隆との共作であるという意識が強いように感じる。「」よりも「」について歌うようになったことも大きい。「」という言葉を扱うようになったことで、結果的に多くの登場人物を扱えるようにもなっている。「」という言葉を扱う頻度も、荒井由実時代より増えている。夢という言葉に内包される意味や密度も、同時に高まっている。単なる美しい夢だけではなく、悪夢の類まで、慎重かつ大胆に扱う。骨まで溶けるようなテキーラみたいな恋、その渦中では見れなかった遠い夢も同時に扱っている。

松任谷由実(2017-2020):深海の街画像3

2020年に発表されたニューアルバムの『深海の街』、最先端のユーミンがどんな心持ちなのか知りたくて、このアルバムだけのタグクラウドを作ってみたところ、特筆すべき解析結果が現れた。ずっと1位だった「」に代わって「」という言葉が1位になっている。そして「歩きだそう」という強いメッセージが込められている。どちらかというと、直接的な表現をさけた叙情性豊かな印象のユーミンが、ここまで明確な「」を歌っていることに、あらためて現在が深刻なパンデミック下であることを思い出させた。2021年9月20日現在、このアルバムを引っさげてのツアーのうち、よこすか芸術劇場公演については中止が告げられた。まだツアー全体の中止というわけではない。ユーミンも、リスナーも、直接あの楽曲群に触れる機会を楽しみにしているだろう。吉報を待とう。

*ユーミンを迎えてのラジオ番組について
シンガー・ソング・タグクラウドの趣旨からは少し離れるが、ユーミンを番組に迎えたときの印象が凄まじかった。ここに記しておく。ブースにお迎えして、開口一番「あなた、いい声ね」と、筆者は声を褒められた。業界でも歯に衣着せぬ物言いで有名なユーミンがオンエアで言ってくれたのだから、自信を持っていいだろう。褒めてくれたから褒め返すわけではないが、生の松任谷由実は実に妖艶であった。魔女みたいだった。美魔女という言葉があるが、それだと俗っぽく響いて魔女の魔女たる所以が損なわれる気がする。荒井由実の分析を伝えたとき、独り言のように「荒井由実は茫洋としていたわね」と軽やかに語った。筆者の分析を聞くまでもなく、自らの歌の世界をすでに把握していた。「雨とか、雲とか、ひこうき雲とか。霧とかね」と、筆者がディティールを伝える前から自身で補足していた。まるで魔女が、魔法の製法を自ら把握しているかのようだった。さすがユーミン、とっくに自己分析が済んでいる。次の段階の話を最初からすれば良かった。

あと、もうひとつ。筆者としては大切な確認作業があった。それはいつだったかタイムラインで公にしたこんな指摘だった。

箕輪厚介という編集者が社会へ放った言葉は、現代の十代二十代三十代の心持ちを印象付ける優秀なコピーでもあった。四十代だからなのか。単にメンタルが繊細なのか。カスリ傷でもひとつ負ったらもう精神的に死んでしまうところがある。筆者としては、その強いコピーとは異なる確かな言葉を探していた。その結果「目にうつる全てのことはメッセージ」が、飛び込んできた。そんな思いもあって、この指摘の真偽をユーミンに直接確認してみたかったのだ。「それはそうかもしれないけど」と少し前置きしたあと「でもね。あそこで歌ったメッセージは、必ずしも(歌詞の言葉の通り)目という器官を使って感知するというわけではないのよ」と、スパッと補足してくれた。なるほど。駆使しているのは五感と想像力であって、狭義の目ではない。これを本質的に捉えて歌い続けていなければ、あの歌の伸びやかな魔力と普遍性は維持できていないだろう。納得した。

補足にしては長すぎるが、最後にもうひとつ。「いつの時代も私という言葉が一番に来ててブレがないですね」とユーミンに伝えたときのリアクションが、凄まじかった。間髪入れずに「私を追求することで、パーンと一般性を帯びるのよね」と、笑いながら伝えてくれた。筆者は「(ああこの人と会話を続けるには、自分自身が一人称の表現を続けて自らの感覚を把握しておくしかない)」と感じた。収録を終えて家に帰ると、知恵熱のような状態がしばらく続いた。魔女と対等な会話を続けるには、自らの魔力を自らの方法で高めるしかないのである。

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