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長渕剛は、何も変わらずに変化を続ける。何の矛盾もない。

長渕剛。名前を聞いたとき、あなたは何を思い浮かべるだろう。高く澄んだ声で別れた女性の名前を何度も呼ぶ繊細な若者の姿だろうか。裏街の片隅でくの字にぶったおれちまった不遇な十代を振り返りながら自らをスーパースターだと鼓舞して次のステージへ向かう青年の姿だろうか。死にたいくらいに憧れた東京のバカヤローの知らん顔、ケツの座りの悪い都会で憤りの酒を半端な自分にたらせば骨身に沁みる。強くて弱い男の姿だろうか。仕上がった肉体で拳を高く突き上げる孤高のカリスマの姿だろうか。長渕剛と出会った時代によって、或いはリスナー自らが置かれた状況によって、そのイメージは大きく異なるだろう。

客観的に長渕剛の世界を読み解くために、全24作のオリジナルアルバム、そして最新シングル『しゃくなげ色の空』を含む全248曲(114,933文字)を分析。長渕剛が時代ごとに何を歌ってきたのか。シンガー・ソング・タグクラウドという筆者が独自に開発した手法で紐解く。

シンガー・ソング・ライター期:1979-1985
シンガーソングライター期
風は南から(1979 年 3 月 5 日)
逆流(1979年11月5日)
乾杯(1980年9月5日)
Bye Bye(1981 年 10 月 1 日)
時代は僕らに雨を降らしてる(1982 年 9 月 1 日)
HEAVY GAUGE(1983 年 6 月 21 日)
HOLD YOUR LAST CHANCE(1984 年 8 月 18 日)
HUNGRY(1985 年 8 月 22 日)

この時期のタグクラウドを見ると、いろんな種類の一人称(自分)を使い分けながら、二人称(お前)に対して、宛て先を絞って歌を丁寧に歌っているのが読み取れる。自分の存在ありきのシンガー・ソング・ライターが数多く存在しているなか、こうした一人称の書き分けが最初期から表れるのは極めて珍しいことだ。作家性に満ちている。 (これはやがて音楽評論家であり作詞家の湯川れい子が指摘することになるが)まるで短編小説を書くように、歌の中に多種多様な物語が登場し、語り部としての主人公が登場している。最初期から、やがて長渕剛が自ら拡張してゆく表現の幅を示唆している。この時期にだけ数多く登場するのは「一人」 そして「部屋」という言葉で、当時の長渕剛の心象風景が見え隠れする。男らしさとか、女らしさとか。そういう大きな篩い分けをしていない。世間体を気にせず、等身大の人間が高い解像度で描かれている。

アクター期:1986-1993
アクター期
STAY DREAM(1986 年 10 月 22 日)
LICENSE(1987 年 8 月 5 日)
昭和(1989年3月25日)
JEEP(1990 年 8 月 25 日)
JAPAN(1991 年 12 月 14 日)
Captain of the Ship(1993 年 11 月 1 日)


1983年、テレビドラマ『家族ゲーム』に出演。これを契機に、長渕剛はドラマに俳優として出演するようになる。その扱いは破格、主演と主題歌を最初から担当している。記録から厳密にアクター期と活動履歴を区切るならば、このときの主題歌『GOOD-BYE青春』(秋元康作詞)(オリジナルアルバムには未収録)の時期を含むのが正しいという見方があるかも知れない。筆者は、作家としての長渕剛を尊重し、ドラマはドラマでも企画・プロデュースに深く自身が関わるようになってからの俳優活動(アルバムでいうと『STAY DREAM』ドラマでいうと『親子ゲーム』)を重要視している。なかでもテレビドラマ『とんぼ』は、長渕剛にとっても記念碑的な作品となった。多くの続編も制作された。数々の印象的なシーンが、実は脚本家の黒土三男との会話から生まれたものだったと、長渕剛は自身を振り返るインタビューで後年明かしている。もっと具体的に指摘すると「世の中の不条理みたいなものを、究極の形を借りてやっつけたかった」と2010年の別冊カドカワで答えている。この"究極の形"というのは、日本のヤクザであり、ヤクザ映画であり、暴力であり、交通渋滞である。登場人物のキャラクターの種を自ら撒き、その人物を自ら演じ、自らの歌詞世界にドラマの登場人物を持ち帰って投影させ、主題歌としてリリースする。世界中のミュージシャンを見渡しても、まだ誰も経験したことのないような独自表現の道を突き進むことになる。

趣旨である言葉の分析に戻ると、シンガー・ソング・ライター期に頻出していた「僕」という一人称は鳴りを潜め、「」「俺ら」「俺たち」 「人間」という強い言葉を頻繁に使うようになっている。二人称も「君」 ではなく「お前」という結びつきの強い言葉を選んでいる。この時期に特筆すべき言葉は「東京」「負けた」「」で、やはりドラマに登場したキャラクターたちの影響を色濃く感じる。

セルフプロデュース期:1996-2017セルフプロデュース期
家族(1996年1月1日)
ふざけんじゃねぇ(1997年9月3日)
SAMURAI(1998年10月14日)
空(2001年6月27日)
Keep On Fighting(2003年5月14日)
Come on Stand up!(2007年5月16日)
FRIENDS(2009年8月12日)
TRY AGAIN(2010年11月10日)
Stay Alive(2012年5月16日)
BLACK TRAIN(2017年8月16日)

2001年発売の『空』、その前後に、リスナーは長渕剛の何度目かの変化を目の当たりにする。金髪と鍛え上げられた肉体。その力強さとは裏腹に、少年期の繊細な気持ちを現在の長渕剛が内省するような新たなアプローチが見てとれる。筆者からすると、あのアルバムはシンガー・ソング・ライターとしての原点回帰のようにも感じる。肉体と声の器を手に入れたことで、歌の世界に持ち込める世界観と人物像がさらに拡張している。以降、2004年に桜島で7万5000人、2015年には富士山麓に約10万人のオーディエンスを集めるなど、動員記録を樹立してゆく。あの肉体改造は、長渕剛が新しい歌を歌い続けるために必要だった通過儀礼のようなものだったと筆者は分析している。肉体的にも、精神的にも、自らを鍛え上げたからこそ新しく見えてきた国家スケールの地平線がある。見上げる太陽がある。連帯がある。

セルフプロデュース期の言葉を解析してみると、最初期のように多くの一人称「」「」「俺たち」「」を再び扱っている。「俺」と「お前」に固執していたアクター期と比べると、よりしなやかな感性で創作に向かっているのがわかる。特筆すべき言葉は「」「」「」「」 そして、最初期にも出てきた「」だった。時代を重ねるにつれて、スケール感を帯びた言葉の数々。強度と密度と重みを増している。

しゃくなげ色の空:2020新曲

2020年に発売された『しゃくなげ色の空』でも、長渕剛は新たな局面を迎えている。いままで歌詞世界に表れなかった「」「必死」「最後」「勝つ」という直接的な言葉を扱い、パンデミック下に於ける自身の在り方を見つめ直し、具体的行動(最前線で闘っている国立国際医療研究センターの医療従事者を激励するライブをセンター屋上にて敢行)に移している。

思えば、2011年の東日本大震災に際しては、ラジオ番組を展開したり、東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の被災地宮城県を訪れ、避難所や自衛隊基地を慰問し、激励した。原発事故で避難生活を余儀なくされた福島県浪江町の小学生20人を自身の故郷、鹿児島に招待した。長渕剛は、有言実行の人であり、言葉の宛て先が常に具体的にある表現者でもある。

長渕剛:1979-1986-1993-2017-2021-20XX画像5
過去から現在にかけて長渕剛が変わらず歌ってきたこと。タグクラウドに現れた言葉を解析すると、それは「」であり「時代」であった。「」しさのあまり「」することがあっても、「明日」や「」や「」を忘れずに。いつだって弱者の視線から「」をしっかり見定めて、「」を歌い続けている。長年聴き続けているリスナーなら誰しも知っていることだが、ひとつの時代しか知らない人には、まだ届いていないかもしれない。改めてここに定義する。長渕剛は何も変わらずに、変化を続ける。そこに何の矛盾もない。

*シンガー・ソング・タグクラウドとは?
人間が解析できる範囲を越えた、膨大なボリュームのテキストを形態素解析。品詞分解したうえで文中よく使われている単語を頻度順に抽出。その頻度に応じてテキストを大小させる方式をタグクラウドと呼ぶ。ブログやソーシャルタギングといったサービスが台頭した2000年前後からよく見られるようになり、最近ではビッグデータの解析にも使われている。このプログラミングと解析の手法を、筆者が日本のシンガー・ソング・ライター向けに独自開発したのが、このシンガー・ソング・タグクラウドである。

*長渕剛と筆者のその後
シンガー・ソング・タグクラウドを主軸とする文章に於いて、この記述は蛇足かも知れない。蛇に足が生えたら、うっかり昇り竜のように勢いを増すかもしれない。なので、最後に触れておく。2020年初夏に、筆者が司会と構成をするラジオ番組に長渕さんがゲスト出演。筆者のルーツが九州にあること、小学生のとき『とんぼ』ごっこ(最終回のあのシーンを市街で急に再現する遊び)を発案して界隈で流行させてそれはもはや早すぎたフラッシュモブであったこと、長渕さんがプログラミングを高校時代に学んでいたなどなど。エピソードに花が咲いた。単に魂の形が似ていたということかもしれない。影響を受けているから当たり前のことかも知れない。とにかく初対面(厳密にいうと番組前に別日で設けていただいた打ち合わせ)の時点で意気投合。結果的に同年、ラジオ番組と連動したフェスにて初共演。プラネタリウムでの無観客配信パフォーマンスをともに開発した。このタグクラウドは、長渕剛という孤高のアーティストに対するラブレターでもあった。番組を通じて内容を伝えたところ、何の矛盾もなかったようで安心した。フェスでの共演後も、アイデアが浮かぶたびに連絡するようにしている。長渕さんからもたまに連絡がある。長渕さんからのメッセージの文末には燃える心と共闘を示す🔥と✊が入っており、筆者からの返信には(それにアイデアで応えようとする)💡を必ずつけるようにしている。

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