見出し画像

未来の自分を想像する遊び


24歳って絶妙な年齢だと思う。

四捨五入という謎の理論によって20代と30代を隔てる砦の歳。わたしは今年の冬にまたひとつ歳をとり、広義でのアラサーになるのだ。


そんなセンシティブなおとしごろだからなのか、近頃、未来のことを考えるとどうしようもない不安に襲われる。

結婚にどうしてもいいイメージを持てないので結婚はしたくない、というのはずっと言っていることなのだが、それにしては最近妙に出産・育児への憧れが湧いてきている。

道行く子供やテレビに映る赤ちゃんをみるとどうしようもなく羨ましくなってしまう。いいな。素敵だな。可愛いんだろうな。こども、ほしいな。

…でも「欲しい」で命を生み出していいのか?とふと思ってしまうのだ。


このように、20代後半から30代としての一般的な幸せを考えるとどんどん暗い思考に陥ってしまうので、わたしはその辛い時間をスキップした未来について考える。




ーーーーーーーーーーーーーー


わたしは今年還暦を迎える。

看護師はとうに辞めていた。32歳のときに遊び半分で発明した便利グッズが爆発的に売れ、会社を興していた。小さな会社だったが軌道に乗り、はやめに社長の座を譲って名前だけのお飾り会長をしている。いわゆるご隠居だ。

都内で、1人にしては少し持て余す一軒家に住む。田舎で自然に囲まれてゆったり過ごす老後に憧れはあったが、生まれ育ったこの土地の便利さを結局捨てられないことは、確か大学生の頃に生意気にも体感してしまったのだった。

そのかわり、大きなサンルームと小さな庭を作ってもらい室内・室外ともに沢山の植物を育てている。季節ごとの庭の彩りなどは一切気にせず、好きなものを好きなだけ植え、好きなように剪定しているため、芍薬の花壇の向こう側にトマトやらナスやら大葉やらが雑然と青い葉を揺らしているけれど、気に入ってるからいいのだ。

春には増えすぎたモッコウバラが玄関ドアの上からたっぷりと枝垂れて咲く。

画像1


育てる、といえば。わたしはこの広い家で猫を5匹、大きい犬を2匹飼っている。

朝、アラスカンマラミュートとサモエドに起こされ、ガウンを羽織り、2匹を引き連れてまだ風の涼しい時間に庭とサンルームの植物に水をやる。

庭のハーブを摘んでハーブティーを淹れ、氷たっぷりのグラスに注いで冷やしておいしいパンと一緒にいただく。

一息ついたら家の掃除を始める。ひとつこだわるとやめられない性格は昔から変わらず、今日は換気扇をぴかぴかに磨き上げる。


昼食をとってからふと思いたってたまには会社に顔を出す。久しぶりすぎて現社長に「あれ、まだ生きてたんですね」なんて皮肉を言われるけど、寂しがってるみたいでなんだか可愛いと思った。

事務所の一画を使って健康相談の真似事をする。といっても、社員はみんな顔も名前も知っているし、結局はお菓子を食べて雑談をする体のいいサボりスペースになるのだ。



ひと段落して家に帰ると猫と犬が駆け寄ってくる。エサをやって自分はソファで本を読んでいるとアビシニアンが撫でろと言わんばかりにわたしの膝の上で丸くなり喉を鳴らす。


うとうとしてると玄関のベルが鳴り、宅配便が届いた。包みを開けると花の種と手紙が入っていた。友人のひとりは昔からじっとしてるのが苦手で、わくわくする世界に飛び込むのが得意だ。いまもいろんな国を飛び回っており、たまにふと思い出したように異国の花の種を送ってくれる。

彼女からの手紙を読んでいると軽井沢に住むもうひとりの友人からメールが届いた。彼女の愛犬の写真がたくさん添付されていた。「あのこから手紙きた?次の休みにイタリアでみんなで会おうって書いてあるんだけどゆっこいける?」というタイムリーすぎる内容に即答でイエスの返事とうちの愛猫・愛犬の写真を送り返す。

もうひとりの友人からもメールが届いていた。「イタリア行くでしょ。東京から行きたいから前の日泊めて」という内容だった。もちろん快諾し返信するが、このときはまさか彼女があの真っ赤なベンツを飽きたからという理由で手放していて、新幹線に乗り、駅からタクシーでやってくるなんて夢にも思わなかった。



来週には、まさか還暦になってもこうやって4人で集まってるとはね。しかも海外。てか連絡くれるの急すぎじゃない?手紙とか届いたの3日前だし。せめてメールにしてよ。とか気を遣わない会話をしてイタリアでワインをしこたま飲んでいるのだろう。ドレス着る?いや〜流石にドレスは小娘すぎない?えじゃあ着物じゃない?着物渋いわ。着よう。イタリアで着物レンタルなんてある?なんていって40年前みたいな夜を過ごすのだろう。



昔は歳をとるのが怖かったけれど、悪いことばかりじゃなかったな。手放すものや離別もそれなりにあったけど、守れたものや得たものはそれ以上にあったな、と幸せな日常に溶けるように眠りについた。いつ死んでもいいと思う気持ちは若い頃から変わらないけど、その意味合いは少し変わっている気がした。