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アメリカとSDGs:本当に無知・無頓着なのか?

 つい先日「アメリカ人はSDGsをほとんど知らない」と聞いた経験、さらにそれ以前に「えー、名刺にSDGsのマークを入れているの?信じられない!」とNY在住歴が長い方から批判的に言われた経験につき、以下のNote記事の中で書いた。

 ここで生じた疑問。
「アメリカは本当にSDGsに無知なのか?アメリカ人はSDGsのマインドセットが本当にないのか?」

 これについて、しっかりとした統計をもとに確認したいと思いつき、以下の調査結果をWEB上のPDFファイルで見つけた。

United Nations Foundation “The Sustainable Development Goals and the United States”, September 2022

 これは以下の記事の末尾のfull survey resultsからみることができる。

 2022年9月に出された調査であり、ごく最近の動向を反映していると言える。そこからは、以下のことが読み取れる。

・アメリカ人の大部分がSDGsを知らないのは事実
・しかし、SDGsは何かを説明したらその意義を大多数が理解した
・アメリカ人がSDGsの目指すもののマインドセットで劣っているわけではない

 以下、上記調査のグラフを抽出して概説する。出典はいずれも上記文献であり、グラフの名称の括弧書きの数字は文献におけるページ番号である。

 「SDGsを聞いたことがない」というアメリカ人の割合は52%にのぼる。「聞いたことはあるけど何かわからない」と合わせると76%で、4分の3以上がSDGsの知識がないと言っていい。

アメリカでのSDGsの認識(P7)

 そこで、この調査では、以下のようにSDGsの説明をした後に、「アメリカにとって」「世界にとって」「あなたのコミュニティにとって」の3つの観点から、SDGsの重要性につき質問をしている。

「SDGsは、2030年までに達成すべき、経済、社会、環境の課題を解決し、皆にとってよりよくより持続可能な将来に向けた共通の青写真を示す、17の目標である」

 その結果、「アメリカにとって」「世界にとって」非常に重要とする割合は50%以上になり、いくぶん重要とする割合と合わせると4分の3以上になる。ただし、「あなたのコミュニティにとって」非常に重要とする割合は41%とやや低くなっている。

SDGsの重要性の意識(SDGsは何かを説明した後)(P10)

 SDGsの17の目標ごとの重要性の意識についてみると、「5ジェンダー」を除いては、70%以上が何らかの重要性を認識している。「2飢餓」「6水・衛生」「16平和」に関しては、60%以上が再重要としている。一方、「5ジェンダー」「10不平等」「13気候変動」「17パートナーシップ」については、4分の1以上が重要性を認識していない。

SDGsの17の目標ごとの重要性の意識(P11)

「アメリカにとって」「世界にとって」の2つの観点から、もっとも緊急性の高い2つの目標についての質問についてみると、いずれに関しても、「1貧困」「2飢餓」が上位を占めている。「3健康」「6水・衛生」「13気候変動」を上げる割合も、いずれも20%以上になっている。

もっとも緊急性の高い2つの目標(P17)

 この調査では、進捗の公表の是非やアメリカのリーダーシップなどを含めたさらに詳細な分析が行われており、世代別、学歴別、支持政党別の相違も出されているようだ。いずれの観点からみても、SDGsが示す目標の内容にアメリカやアメリカ人が無知・無頓着という結果は、この調査からはうかがえなかった。
 調査からみて、アメリカでは、SDGsの各目標にまつわる課題についてはしっかり認識されている一方で、その意識が「SDGs」という形になっていないというのが正しいだろう。「SDGs」という形式が受け入れられていないともいえる。
 では、なぜアメリカでは「SDGs」の形式が受け入れられないのか?これについてまとめた日本語のサイトがいくつかあった。この内容をごくかいつまんで言うと、認知は低いけど知る人は深く知っている、SDGsと同じマインドの他の言葉の方が広がっている、トランプ前大統領の影響が挙げられているようだ。


 もう1つ私の仮説。実は、この画像にヒントがあると思う。

「SDGs バッジ スーツ」でGoogle検索した画像の一覧

 SDGsのバッジは実にスーツと親和性が高い。逆に、スーツないしはジャケット以外のファッションでSDGsのバッジが着用されるシーンはあまりイメージできない。一方、特にアメリカ西海岸では、仕事でスーツを着用する人はごく少なく、スーツは時代遅れになっている。「スーツ=SDGsバッジ=SDGs=画一的でお仕着せでつまらない」そんなイメージができているのではないか。「上(=国連)で決めたものを使ってもらおう」という考えがアメリカ人にとっては「画一的なスーツ」のように見えるのかもしれない。その象徴が「SDGsバッジ」なのだろう。一方、類する言葉の「ESG」「サステナビリティ」は、別に国連が定義した用語ではなく、自然に定着したものである。大事なのはみせかけより中身と実践。社会課題への問題意識はあるけど、他に広まっている言葉もあるし、いちいちSDGsを使う必要がないだろう、ということだろうか。
 なお、「SDGsなんて言葉は要らない」とは、私は思わない。簡単にいうと、多様な課題のつながりを連携して整理するのに役立つし、多様なステークホルダーを共通の目標に向かわせるための道しるべとしてわかりやすいものだからだ。こうした本来の意義や機能をしっかり認識してもらうことが、アメリカでSDGsが定着する鍵ではないかと思う。

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