見出し画像

#56 アマチュア剣道愛好家にとって一番重要なのは地稽古だと思う訳 後編

前回は概ねこんな内容のことを書きました。

◆なんだかんだといっても私たちは地稽古ばかりしているし、今後もそれはおそらく変わらない
◆アマチュアの剣道愛好家には時間がない。カレンダー通りに働けない人はなおさらなので、あとは人が働いている時間に稽古するしかない
◆限られた貴重な時間に稽古をするなら、効率的に稽古することを考えたい
◆基本稽古はインプット。アウトプットの地稽古をどうしていけば上達できるのかを考える
↓前半です

私は、この考えをもとに平日の昼間に「自分がやりたいことをやる」稽古会を開催しています。
稽古会の中で何を意識しているかを呟いてみます。

地稽古の内容を充実させるために

①アウトプットのチャンスを増やす

基本稽古の時間は十分にとっていますが「基本稽古と地稽古を交互に行うこと」が特徴です。(区分稽古とは異なります)
時間で表現すると、基本稽古を20分➡地稽古を20分➡(休憩)➡基本稽古を20分➡地稽古を20分➡終了、という内容です。
基本稽古は準備体操ではなくインプットです。地稽古はアウトプットとなるわけですが皆さんは普段、基本稽古を調子よく行っていたのに、地稽古ではうまくいかずに稽古を終了し、反省して家に帰って落ち込み、SNSで愚痴を零す…そんな経験はありませんでしょうか。
その考え方にもモノ申したいのですが何よりも、地稽古でうまくいかなかったものを再度の基本稽古で確認し、もう一度アウトプットを試みる。
「もう一度チャンスを作る」という狙いがここにあります。

インプットしたのにアウトプットが不十分となれば、消化不良を起こしてしまいます。人間の体と同じです。
ちなみに、インプットは入力により身につけること。アウトプットは入力したものを活用して発信し、表現することです。
インプットとアウトプットを常に行うことで能力は向上しますが、そこには最も効果的な比率があると言われています。その比率は、インプット:アウトプット=3:7だそうです。

②地稽古を「反省会の場」にしない

基本稽古の目的はインプットであり、正しい動きを身につけることです。もちろん、地稽古でもその考え方が重要な場合もあります。
地稽古の最中、一本打つたびに「ああっ失敗した!」「外れた!!」「打たれた!!!」と反省する人がいます。
裏を返せば「打てた!うまくいった!」「決まった!!」「打たれなかった!!!」と考えることにもつながります。

ほかの記事にも書いているように、これは地稽古に集中する意識を中断することにつながります。そして一々「打ったか?打てたか?打たれたか?」を気にしているようでは「打って反省、打たれて感謝」の域に達することは難しいなと(私は)考えます。

地稽古の最中に「今の技がどうだったか?」を気にする比重が増えるということは、アウトプットに無駄が増えるということです。
そのままその日の稽古が終わってしまえばそれは不完全燃焼、ということになります。

稽古のテーマやルールを共有しています。
指導ではありません。

◾️アウトプットは集中してやり切る。振り返りは面を外した後で

⚫︎地稽古の最中は絶対に縁を切らないこと

 打たれたからと言って「まいりました」と一度稽古を中断し頭を下げたり、打つたびに「どうよオレの面は」と開始線に戻っていては、良い地稽古にはなりません。
審査や試合では、一本技を出すたびに開始線にもどったりはしないはずです。普段の稽古でいつも開始線に戻る稽古をしているようでは、いつまでたっても審査や試合で「普段どおり」の自分でいることはできないでしょう。それに開始線に戻ること自体、時間の空費でしかありません。

⚫︎「まいりました」はNG

感想戦は面を外してから。将棋の最中に不味い一手があったからと言って顔には出しません。それと同じです。

⚫︎打突部を外れても中断しない。

 相互の信頼関係のもと、謝罪はすべての稽古が終わってからにしましょう。

⚫︎自分のなかでも気持ちの縁を切らない。

「あー、ダメだ」
技を出すたびにこまめな反省会を自前開催する人がいます。ひとつずつの技に一喜一憂しない。地稽古は相手があるものなので、常に上手く行くとは限りません。地稽古の最中に自分を振り返ることは、研究熱心なのかもしれませんが、一方で相手を無視していることにもつながります。

以上のルールのもとに1分~1分半。最長でも2分の地稽古を何度も何度も繰り返します。
なお、基本稽古~地稽古という流れを複数回繰り返しますが、2回目以降となる基本稽古の内容は、極力そのまま地稽古に生かせるものとするため「打突につなげる技前を意識したメニュー」などを取り入れます。
また、地稽古自体にも「苦手な技を有効打突にする」「得意な技を生かす」などのテーマを付す場合がありますが、どんなテーマを付したとしても「絶対に縁は切らないで」という条件は不変です。

■縁を切らない地稽古の狙い

地稽古では基本稽古でインプットしたものを「試す」機会にもなりますが、それすら集中の過程でなくてはなりません。試した結果に一喜一憂していては、地稽古もアウトプットにはならなくなってしまいます。

地稽古を実りあるアウトプットにするためにも縁を切らないことが大切です。その成果は

⚫︎集中力が高まり、気が養われる
⚫︎呼吸が長続きするようになり、剣道のための持久力が備わる
(繰り返していると、段々と一本打つたびに開始線に戻るのがおっくうになります…)
⚫︎「打った打たれた」を考えるヒマがないので、自然とそれを気にしなくなる
⚫︎稽古に躍動感も生まれる
⚫︎防御のための防御も自然と減る。(防御している時間すらもったいないと思うようになる)

稽古会では、短時間の地稽古を何度も繰り返して行うので、「次の回は何を意識しようかな?」という工夫が自然と生まれます。

短時間の地稽古をひたすら繰り返します

縁を切らない稽古は、結構ハードですが、その分短時間で成果が得られると感じています。
地稽古というアウトプットの場で集中し続けることを覚えれば、心理的にも余裕が出てくるようになりますし、「次のお相手との稽古はこれをやってみようかな」という課題設定が自然とできるようになります。

地稽古はアウトプットの場だということを理解している先生は、いちいち途中で稽古を中断して細かい指導を行ったりはしません。それよりも短い時間で息をあげさせ、掛かり手を苦しい状況に追い込んだところで「ポン」と軽く打って悪いところを教えてくれます…いつか私も指導をする機会があったら、そんな指導者になりたい、と思います。

■審査前になると参加者が増えますが…

特に審査前の時期になると、有給休暇を使って平日の稽古に来てくださる仲間がいます。私自身は平日が休みなので痛くもかゆくもないのですが、勤務のスケジュールを調整してまで稽古に足を運んでくれる仲間がいることをとても嬉しく思っています。
ただそれでも、この稽古会で「審査前だから審査対策の稽古を特別に行う」ことはありません。もうお分かりだと思いますが、普段通りの稽古メニューで十分に審査対策にもなりうるからです。
おそらく審査前に!と来てくれる仲間もそれを理解してくれているはずです。
審査前日に初めてこの稽古に来てくれた友人が翌日「この稽古のテーマをそのままに審査に臨むことができました」と吉報を伝えてくれたこともあります。

ちなみに、日によっては8割の時間を面をつけずに「研究」に費やして終わることもあります。

■あとがき

普段の稽古では、地稽古をインプットにするという稽古もあえて行うことはあります。例えば、どうやってもカスリもしないような上手(うわて)の先生だったり、変則的な剣道の使い手の方には、極力基本通りの動作=打突を心がけながら稽古することもあり、それを重視する場合もあります。
また、基本稽古をする機会が一切ない!という場合には、地稽古を基本稽古実践の場と捉えて稽古を積み重ねる必要も出てきます。そこで必要なのが「懸かる稽古」への意識なのですが、そのことについては今後別記します。

剣道していて楽しいのは、意外と「小さなプラスの変化を実感できたとき」だったりします。うまくいかなければ反省すべきですし、もしかしたら落ち込むかもしれません。
しかし、稽古時間の大半を占める地稽古の場においてたくさん落ち込んでいたら剣道はつまらなくなってしまいます。
それよりも集中する時間を過ごす喜びの中に小さな変化が実感できることのほうが、剣道は継続できるはずだと私は思います。
継続は力なり。実のある地稽古を集中力十分に継続して、力を高めていきたいと願いつつ、今日はこの辺で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?