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5ヶ月と14日

 深夜3時。泣きわめきながらもおっぱいを飲ませようとすると拒否するその歪んだ顔が、なんとも、周りの大人たちから甘やかされて調子に乗っているように見える。数十分、様子を見て、先にミルクを作りに台所へ。部屋へ戻ると、ベッドの上に置かれた我が子は手足をじたばたさせてまだ泣いている。仕方なく抱っこする。

 「どうしておっぱい飲まないの。」ギャーギャー泣きわめくだけの息子を抱っこしながら、少しずつ授乳の姿勢にもっていく。

 「おじいちゃんも、おばあちゃんも、ずっと甘やかしてくれるわけではないんだからね。」自分の声が、思っていたよりも野太く深淵なトーンで、抱かれる赤ちゃんと自分自身をひとつに振動させた。ずっと甘やかしてくれるわけではない。それは私に対しても同様だ。この命運ともにある覚悟が息子に伝わったのか、ヒック、ヒックとしゃくり上げながらも泣き止み、おっぱいに吸い付き飲み始める。

 愛いっぱいで育つのは良いけど、甘やかされて勘違いして将来自分の能力を活かせない大人になっては困る。他人を思いやれない子になっても困る。そう、この私のように・・・。


 朝、イケている元サッカー選手の紹介する、広尾のグルメ番組がテレビで放送されていた。きれいに整った町並みと、イケている外国人の多く訪れるというスーパーマーケット。広く整えられたカフェ、インスタ映えする何色ものクリームが乗ったソフトクリーム。こういう東京の景色に憧れていたのは、もう25年近く前の高校生の頃。とにかく東京へ行きたかった。東北の片田舎に住む自分は何かが間違っているのではないかと思った。こんなところは早く出て『本当の人生』を始めるのだと思った。
 
 今でもテレビ画面から都内の、おしゃれな風景が顔を出すと、憧れていたあの頃の都会を思い出す。もっと高尚で、もっと美しく、精神性の高い人間しかいないはずだった都会。もっと美を求め、自分も他人も社会も知り、より良くなるための愛あふれる場所であるはずだった都会。世界は自分を中心に回っていく。

 ほぎゃあ、と息子が泣く。「ぜんぜん、そうは、ならなかったな。」自分はつぶやく。ぜんぜん、そうは、ならなかった。
 
 庭の植木を整えるハサミの音がカチカチ響く。今日は植木屋さんが来ている。何もこんなに暑い日に、と思うが。休憩時に出す缶コーヒーを、母が氷で冷やしていた。

 人生にリベンジする時はもう始まっている。正確には、始まりの、準備が、始まっている。

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