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「〜しろ」って言われたからした、っていうのは立派な責任転嫁なんだな。

 もう、うるさいな。そんなに大騒ぎするなら私のこと、もうぜんぶあなたたちで決めていいよ。
 こどもの頃の記憶。着たい服、習い事、進路、部活。自分の意思を出せば母とおばあちゃんは、あーだこうだの大騒ぎになる。だから私はいつでも自分の意見は出さずに、アニメや漫画に逃避しては毎日ボーッとしていた。

 あなたたち、そんなに前に出て私のこと全部やりたいなら、やっていいよ。どうぞどうぞ。だから私はでしゃばりが嫌い。人の仕事奪って何が楽しいの。見苦しいね、鼻息荒くして、人のやるべきこと奪って、そのさき誰に何を認められて喜ぶの。
 
 諦めたのはいつからだろう。小学生の前半くらいまでは、まだ諦めていなかったと思う。小学5 年くらいから、同年代の友人でさえ、おませさんの女の子は私を子供扱いして、私のやるべき仕事を取り上げて、「面倒見の良い素敵な私」を演出しだしたのでもう何もかも嫌になった。

 アニメや漫画に逃げてどんどんこじらせていった自己愛は、成長期の体とともに醜くぶくぶく肥っていって、もとの快活な子供の姿は原型を留めていなかった。

 そんな、こども時代の副産物が、大人になっての社会生活にこんなにも支障を産むなんて知らなかった。人格形成に問題が出てくるのだ。歪みは奥が深い。

 あのアニメ、マンガずきだった自分こそアイデンティティだと思っていたけどそれもしっくりこない。自分は自分を放棄して、ファンタジーの世界へ逃げ込んだ。

 目の前にいる温かくて柔らかくて小さい存在を、私と同じように成長させるわけにはいかない。だから母である私は、主体性をまず取り戻す。毎日、自分が何を感じ、どうしたいのか、どうするのか、考え、記述し、実行し、表現する。

 息子によって、私は大人にさせてもらっている。それには自分の気付きが不可欠だけど。

 今日は、息子が生まれて5ヶ月と16日。昨日は午前中にやっかいなwebの仕事を済ませて、午後は一件の電話をし、保留になっていたホームページ作成を進められたので、夕方に油断した。母が以前買い置きしていたポテトチップを食べた上に、その日買い物から帰ってきた母の買ってきたいかにも身体に悪そうな既成のサンドイッチと、ショートニングにマーガリンたっぷりのパンを食べてしまった。でもそれは母のせいではなく、大人である私自身が私の責任に置いて選択したこと。

 食事に関して、家族とは別に、自分用のプログラムを組もう。そう決めた。

 11時2分に黙祷をする。

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